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芸人人語 |爆笑問題 太田光 を読んで

時事ネタの漫才をやり続けて、政治やニュースにも臆さず斬り込む、けどいざバラエティーに出れば手に負えないおじさん的な、独特な雰囲気を持つ芸人、爆笑問題の太田光さん。
先日、たまたまyoutubeで「爆笑問題のニッポンの教養」を見て、太田さんの視点にハッとして、感銘を受け、改めてファンになってしまいました。太田さんの思想や笑いに触れたくて、ラジオを聞いたり、動画を見たり、そして、この「芸人人語」という本を手に取りました。
この本は雑誌「一冊の本」での連載が掲載されているものです。その本を読んで、私が感じた三つのことを書きました。


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(本文一部抜粋)
まず「形」が決まる。その後に言葉や思考がその形に注ぎ込まれる。生物学的にもそうだろう。初めに「体」ができ、「思考」はその後だ。
神社に参拝するときに重要なのは、例えば二礼二拍手一礼と言った形式である。
神職が唱える祝詞は、神に豊穣するもので、人に向いてはいない。祈祷で重要なのは形式だ。
演技においてもまず形を決める。そこに感情を宿す。
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50年前と今の生き方の一番大きな違いって、私は「選択肢」の多さだと思います。普通の世間が敷いたレールにのって会社員をやってもいいし、自分で会社を立ち上げてもいい。故郷に住んでも、東京に出ても、縁もゆかりもない土地に引っ越しても、海外に住む選択肢もあります。
例えば、野茂英雄がアメリカの大リーグに行くと決めたとき、当時「無謀」と言われた大リーグでプレーするもいう選択肢は、今なら「あなたの自由」「そういう選択肢もある」と言われるだろう。前例もあるし、経済的にも、政治的にも、あらゆる選択肢をとることへのハードルが低くなっています。それは過去に多くの人が様々な成功のレールを残してくれたことと、その記録を世界中で見ることができるテクノロジーがあり、情報は誰でも簡単に手にとることができます。
今は、選択肢がたくさんあるからこそ、無駄に考えてしまう。「自分の本当にやりたいことはなんだろう」「自分に向いていることは?」、何が最適解なのか。そもそも最適解を取る必要もあるのか。
でも、考えても答えなんて出ない。自分に向いているか。自分のやりたいことは何かなんて、やってみないとわからないし、やってみてもわからないことも多いです。そんな中で自分の運命を受け入れ、形から入って、その中から自分らしさを追求していくのだと、改めて思うことが出来ました。もっと事は単純なんだということを短い言葉でこの本を通して伝えてくれているように思います。

川崎の20人の殺人事件の話で、犯人は最後に自殺をしてしまうのだが、「一人で死ねばいい」という世論に対して、太田さんが持論を述べています。
最後にこの犯人は大量に人を殺した後に自分の命を経つ。なんで一人で静かに死なず、沢山の人を殺す必要があったのか。それは自分の命を大切に思えなかったから、だから他人の命も大切に思えなかったのではないか。
太田さんは高校時代、食べ物の味も感じなくなるほどに、無感動になり、無気力、そしてこのまま死んでしまってもなんとも思わない、そんな時期があったそうです。
その時に彼に感動する気持ちを宿らせたのは「ピカソ」の作品だったそう。
それまでも好きなものはあったけれど、本当にそれを好きかどうか自信を持てなかったという。ただ、それが好きな自分に自惚れているだけなのではないかという想いがあったそう。
だけどピカソの作品に出会った時に、好きなもの、感動するものを感じれる自分を愛していいことに気がついたという。
私はこの話にすごく共感しました。先日、青森の美術館に行ったんです。私は美術館に行くのが好きです。でもアートだ、歴史だ、ということは全くわからない。だけど、休みの日は何をしているんですか?と聞かれて、「美術館」といえばなんだか大袈裟な感じがしてしまいまが、現代アートの奈良美智の作品を、青森のは空いている美術館で独り占めのようにみられてとっても嬉しかったのは本当です。
だけど、アート作品はネットで自宅でも見られるし、奈良美智が描いたブスったれた子供の絵を見て喜んでいる私は、奈良美智の作品を見た自分に酔っているだけなのかとつくづく思い、好きだなと思う気持ちに自信を持てずにいました。だって、奈良美智の本質なんて全然わからないし、作品の背景だってなんとなくしかわかっていない。
ただ、太田さんの本を読んで、「ああ、私は美術館を楽しめる自分が好きなんだ」って開き直っていいんだって思ったら、もっと純粋に作品を楽しむことができました。


「先生どうにかできませんか?」この言葉は、千葉で虐待をされていて亡くなった少女が先生に書いた言葉です。太田さんはこの小学四年生にしては大人びた書き方から、この子の置かれた状況や気持ちを推測しています。
虐待をしていた両親を人の心のわからないモンスターのように取り上げて罵ることは容易に出来たでしょう。太田さんはそれは誰の心にも起こり得るし、自分の中にもそういう一面もあるかもしれないというところから考え始めます。
社会で起きたことを、切り取って、「そんなのあり得ないだろう」「私だったら、そうしない」「普通じゃないことが起きた」という言葉で片付けてしまったら、きっとこれからもこういう悲しい事件が起きてしまうだろうと思います。
これは社会のニュースでも、会社の出来事でも、電車の中でも、自分が同じ状況だったらどうするだろうということ。そこにいろんな思慮が溢れているし、受け取り方と見方によって、その言葉を受け取った誰かを簡単に傷つけてしまうこともできるし、状況を知ろうとする過程でたくさんのことを学ぶこともできる。
「芸人人語」は爆笑問題 太田光さんの考えていることの一部が垣間見れる本ではあるが、それはラジオでも、番組でも、著書にも見ることができる。そしてそれは一貫している。それが間違っているかもしれないということも前提において、一貫している。

とても読みやすく、短時間で読むことのできるエッセイになっていて、重くならず、軽く読むことのできる一冊です。

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