「雷様がへそを取る」とは

梅雨の時期。雷がごろごろと鳴っている。

夫がふと言い出した。
「雷が鳴るとおへそを取られるから隠さないといけないっていうけど、『 へそを取られる』ってどういうことなんだろうね。」

夫は、お腹からへそをえぐり取られることと考えていて、お腹のどこからどこがえぐり取られるのか、雷様がえぐり取ったへそはどんなものなのかが気になっている。

一方私は、へそはえぐり取られるのではなく、むしろ、へその中を細胞か何かで埋められることだと想像していた。つまり、へそを取るとは、まるでセメントを流し込むように、お腹のおへそが何かしらが流し込まれ、平らになることを指すということだ。へそがなくされるとでも言えるだろう。

しかし、へそが埋まるということなら、雷様に取り分はなく、利益がないじゃないかと夫は言う。

私の説はこうだ。
雷様はへそが欲しいのではなく、雷様が来たにもかかわらず、なめてかかってへそを出していた人間に対して、天罰として人間であることの証のへそをなくすのだ。

この話をした頃には、夫は私の説にのめりこみ、次のように妄想を膨らます。
おそらく、へそをなくされただけでは人間は雷様の言う天罰の意味を理解できないから、雷様はへそをなくす前に、プレゼンやレジュメを用意して、意気揚々と「お前らの人間であることの証はへそにある」と教え込むだろう。そして、へそは人間であるために大切なものであることを理解させた上で、へそを埋める。こうすることで、人間はひどく落ち込み、雷様をばかにするようなマネはしなくなるだろう。

夫婦でどうでもいい話ばかりしています

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?