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母はかわいいおばあちゃん②

母が死ぬ夢を見た

夢の中での私は、救急車を呼ぶでもなく、泣きわめくこともなく、そっと母のところにいきそのまま抱きしめた。
心臓が止まるのを確認して「苦しまなくてよかったね」と私は言った。

母は御年78歳、いつこんな時が来てもおかしくない。
母が元気なうちに母の事を書こうと思った。


■ 愛知県の農家の娘として生まれ、美容師になる

母は7人兄弟の4番目。真ん中の中の真ん中。
もう上の3人は亡くなっているから、実質今は自分のことを長女と言っている。妹が2人と弟が1人いる。昔からとても仲がいい。

母は昔から活発な子で、中学を卒業して高校に進んだが、あまり勉強が得意ではなかったので中退して紡績工場に働きに出た。

だが、母はその紡績工場を数か月で辞めて家出をした。
子どもの頃近所に来ていた「訪問美容師」に憧れて、その夢を叶えるために、1人名古屋に行ったのは、母がまだ16歳の時だった。
美容学校に通いながら住み込みの美容室で働き、20歳になる前に美容師になった。


■ 美容師になった母は東京の父と結婚する

母は美容師としてキャリアを積んでいったが、このまま店で働き続ける事に悩んでいた。
自分の店を持つか、それとも映画会社で専属のヘアデザイナーになるか・・・

そんな時に母は、美容学校時代の友達「なっちゃん」のご主人「はじめさん」から、父を結婚相手として紹介された。
はじめさんは父のいとこだった。
はじめさんから父を紹介され、母は思った。

「なっちゃんは、はじめさんと結婚して自分のお店を持った。もしかしたら、自分もこの人と結婚したらお店を持てるかもしれない」


■ 専業主婦になった母

母は父の住む東京へ嫁いだが、そこで母の目論見はもろくも崩れることになる。
結婚生活は義父母と同居、さらに小姑までいた。

そんな状況で、結婚してすぐに長男(兄1)を妊娠、生んだ翌年に次男(兄2)、そしてその翌年には長女(姉)が生まれる。そしてその3年後に私が生まれる。
そう、5年の間に子供を4人を生む(はっきり言って父が鬼畜)という状況になってしまい、さらに私が生まれた半年後に父は会社を興したのだ。

母の「自分の店を持つ」という夢はもろくも崩れてしまった。

■ 奥様でありスーパーママ

母は義父母(私から見たら祖父母)と、4人の子ども、さらには一時期職人が複数人住んでいた事もあり、その炊事洗濯掃除すべてをやっていた。

母の料理はいつも美味しかったし、私が学校から帰宅すると手作りのおやつがあるのは当たり前で、家は8人以上も住んでいるのにいつも片付いていたし、洗濯物はきれいに畳まれていた。さらに母は、子どもの習い事にはいつも付き添い、兄は野球、姉は水泳、私はピアノと、常にサポートしてくれた。
それでも飽き足らず何の余裕があったのか、母自身も体操教室や洋裁教室に通い、着付けの師範の資格も取った。

今思えば、母はスーパーママだったとしか言いようがない。

そんな母がいるから父は仕事に専念できたし、昭和の終わりの建築ラッシュのおかげで、私たち家族はそこそこ裕福な暮らしができたと思う。
その面から見たら、母は「玉の輿に乗った奥様」と言われていたのも頷けるが、私にとっては母はあくまでも「なんでもできるスーパーママ」だった。


■ 家族のための人生

今思えば、炊事洗濯家事が全くできなかった田舎者の母が、父のモラハラに長年耐え、祖父母からの圧にも耐え、スーパーママになれたのは凄い事だと思うが、本人にその自覚はない。耐えた、我慢した、という気持ちは不思議と全くないとの事だった。

ただ、母は一度だけ家出をしたことがある。

それは15年前、祖父母の介護に直面した時だった。
それまでは父が房総に家を建て、祖父母はそちらに住んでいたのだが、いよいよ90代後半になり介護が必要となり、この西東京の家に同居することになった。
90代後半の介護というものは凄まじいものだった。
結果的に9か月と短いものだったが、毎日のように徘徊、糞尿の垂れ流しに直面して、母の心は壊れた。

今まで50年近く壊れなかった心が、とうとう壊れてしまったのだ。
母はモラハラの父に対して初めて言葉を返して、家を出た。

その家出をサポートしたのは私だった。
母から「名古屋に行きたい。美容師時代の友達に会いたい」
と言われて、私は名古屋のビジネスホテルを一週間分予約した。
兄と姉には経緯を説明して、祖父母のことも私がなんとかするから心配ない、と母に伝えた。

この時に私は思った。
母は一生懸命我慢をしていたんだ。
大好きだった美容師の仕事を諦めたことを、ずっと後悔していたのだと思った。
家族のためにずっと我慢してきたのに、今更こんな仕打ちを受けるのかと、それで母の心は壊れてしまったのだ。

母は名古屋に行ってから10日ほどで帰ってきた。
母の顔は晴れやかだった。そして、
「私には夢がある。いつか自分の店を持つ。だから頑張る、もう大丈夫よ」
と言った。
兄2人は「60歳を超えたおばあちゃんが何を言ってるんだ」
とバカにしたけど、私はそうは思えなかった。
母は着物の着付けと頭もセットで出来るから、いつか本当に店を持つかもしれない。その時は全面的にサポートしよう、いくつになっても目標を持つことは大事だ、と私は思った。

ここまで書いたら2000字超えちゃった。なんか中途半端でごめんなさいwww

それから母は交通事故にあったりして、店を持つという夢は叶わなかったけど、今現在は朝から晩まで韓国ドラマを見る置物のような生活をしていますが、とても元気ですwww

もう少し具体的なエピソードを書きたかったけど、またの機会にちょくちょく書いていきたいと思います。(死ぬまでにねwww)

具体的なエピソードはこちら↓


ではでは、今日も素敵な金玉曜日をお過ごしくださいね~(出た出たwww)




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