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息子の卒業式、直太朗のさくらで泣く準備OK

今日は息子の高校の卒業式

思えば3年前、中学の担任から12月の時点で「あと100点上げないと合格は無理ですね」と言われ、模試の結果も全く上がらず1月でC判定で、普通に無謀とも呼ばれた都立高校への挑戦だった。周りの友達が志望校のレベルを直前になって下げる中、息子は頑なに第1志望を変えなかった。

過去問を何度繰り返しても、到底合格点には届かなかった。苦手な「社会」が足を引っ張った。どの年の過去問をやっても偏差値38の壁を破る事ができなかった。

しかしながら、息子は運だけは強い男だった。試験当日、帰宅すると死んだように眠り続ける息子に翌日試験の詳細を聞いてみると、「もしかしたら奇跡が起きたかもしれない。社会の問題が例年と傾向が違った。平成丸ごと振り返り問題だった。もしかしたら6割取れてるかもしれない」

そう、その年は平成が終わる年で、都立高校の試験問題も世の中の流れを反映したものになっていたのだ。

周りの誰もが不合格を予想していた、それを息子は見事に覆した。

発表日当日、掲示板に張り出された自分の受験番号を見て、息子が「受かった」と呟いた瞬間に私は涙が出た。涙を流しながら飛び跳ねる私の事を、息子は静かに制止していた。

それが3年前だ。

当時、私達夫婦は今より仲は良くなかったが、息子の高校を選ぶ際、私達夫婦の意見は一致した。

東京の私立の男子高女子高出身の私達は、「息子には自分達とは違う高校生活を」と思っていた。夫が、

「自転車で通える都立に行って、部活や学校行事を楽しめる、アイツにはそんな高校生活を送って欲しい」

そう言われた時に、私は夫の意見に完全同意した。私も全く同じように考えていたからだ。

息子の高校は、ほぼ私が決めた。
地元出身の私は、都立高校が学区に別れていた時代だったので、当時自分の学区域の高校に全く魅力を感じなかった事を振り返り、息子には自転車で行けるギリギリの距離の「23区」にある高校を選ばせた。

中堅高、部活もそこそこ、行事に力の入った人気校で倍率も高めだった。

ギリギリで入学した息子は下位20位以内の常連だった。
そんな感じで勉強はイマイチだったが、楽しい部活と気の合う友人と、息子は高校生活をエンジョイしているように見えた。

高1の体育祭、文化祭、校外では高校生ラップ選手権、スキー旅行、眩しい位に楽しそうだった。

そして、高2になる少し前に突如起きたコロナウィルスで、彼らの生活は一変した。

体育祭、文化祭、修学旅行、球技大会、部活の試合や合宿、全てが潰れる事になった。

「仕方ない」

で済まされるのは、彼らの現状を知らないからかもしれない。

コロナの事を書くと止まらなくなるので、今回はこの辺にしておくが、今後いつか彼らが「潰された青春」について何か反動を起こす事を期待したい。

おっと、失礼しました

高校生活の2年間を顔半分覆うマスク生活で過ごした息子は、残念ながら彼女はできなかったと思うw

現在、受験勉強の反動で体重が増量「打てないヤクルトの村上化」した息子は、今朝も制服のズボンがキツそうだった。

私は何度目かの高校訪問で、やっと一番しっくり来る経路を見つけたが、もう卒業式なので今後ここに来る事は無いだろう。

もうすぐ始まります

泣く準備はOK


待ち時間で書いた文章なので、駄文にて失礼します。







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