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「その瞬間に降りてきた」裏には理論があるのかも

ひらめいた瞬間に書き留めたもの。その瞬間を捉えて切り取ったから、その時だけの鮮烈で強烈な刺激がそのまま表現される、ということがある。

個人的にツイートはそういう要素が強いと思う。鮮烈で最新で嘘のない「その時」に呟かれた、こぼれ落ちたような言葉は面白い。そこに最高傑作が隠れていることは多いと思う。

しかしそれに頼り切ることが難しいのもまた事実だと思う。その時のインスピレーションはまぐれにも近くて、この能力に自信を持ってしまうと精彩に欠けていくのが自然な流れにも見える。

天から降りてきたイメージをそのまま書き留めるように作曲したと言われているモーツァルトだが、彼の作品は音楽理論の和声学で分析しても美しく明快に整っている。同時代の作曲家であるハイドンの作品も同じように分析できる。まもなく台頭したベートーヴェンの作品は、モーツァルトやハイドンの用いた作曲技法を土台にして応用や革新を試みている。

インスピレーションに思える美しい現象も理論的に分析することは可能で、同時代のライバル達は同じ理論を駆使して戦い、常に応用と展開と革新を試みているのではないかと思う。モーツァルトはもしかしたら本当にインスピレーションで作曲していたかもしれない。でもそこに続いたベートーヴェンは音楽を緻密に構成する作曲家だから、モーツァルトの分析を繰り返して学んだと思うし、更に前の時代に遡るバッハの作曲技法も取り入れて展開している。

言葉を使う文章の世界でも、インスピレーションに頼らないで常に理論的背景を見出す姿勢を怠ると、だんだんと面白さや魅力が減っていくのではないかと思うようになった。そして着想が光る人は理論的な裏付けが土台にあることが多く、その土台をインスピレーションですり減らすばかりで補強を怠っているといつの間にか土台がなくなってしまうイメージだと思った。

そんなことをつらつらと考えながら、先ほどツイートしたのがこちら。



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