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「辞める挨拶」を自分の過去から探した

 ひとの「辞める挨拶」を読みながら、私は今までどこかを辞めるとき、挨拶をしてきただろうかと思った。
 学校の卒業式は、一貫校なのに途中で抜けることで挨拶する雰囲気がなかったり、高校では入院中で欠席したり、大学では震災で中止されたりと、挨拶の機会が乏しかった。
 ある職場を辞めると決まったときは、一部の上司以外は私が辞めると知らなかったから、「あれ、どこか行くの?」と声をかけてくださったひとに私は曖昧な笑顔で返して、そのまま勤務時間中の真昼間に職場を出て戻らず、それが最後の出勤日になった。
 ある他の職場を辞めるときは、仕事の覚えが悪い私は既に全員から迷惑がられていたから、挨拶してまわろうとしたら全員が電話をかけ始めて全く話せなかった。
 SNSの更新を辞めるときも、特に挨拶はしなかった。Instagramは基本的に放置しているが、いつからこんな理由で辞めますといった投稿はしていない。特に辞める決意はしていないからかもしれない。ただ興味がうすれてアプリを開かなくなるから、結果的に辞めている。

 自分から「辞める」と決意して辞めるのなら、挨拶してまわる行動が自然とできるのかもしれない。私はたくさん辞めてきたが、辞める決意をしたことはなかっただろうか? 辞めてほしいと伝えられたから辞めるか、自分の興味が他に移ってしまい離れているかのどちらかだったろうか、と振り返っているうちに思い出した。上記の二つとは別の職場を辞めるとき、意を決して辞意を上司に伝えたことがあった。無茶苦茶に怒りを買い、今後二度とウチに関われないようにしておきますから、と絶縁宣言をされた。

 どこかを辞めるとき、大抵は嫌気がさしているか、もしくは興味がなくなっている。辞めるためにどうしても伝える必要があるならば伝えざるを得ないが、その必要がないなら、「ここが嫌になりました or 興味がなくなりました」と暗に伝えるのはつらいと私は感じてしまう。
 挨拶が苦手な私なりに「辞める挨拶」を肯定的に考えてみると、辞める挨拶が必要なときは確かにある。
 例えば、辞めると迷惑がかかる・引き継ぎが発生する場合。それならどうしても挨拶するしかないが、怒られたり嫌がられたりと苦しい時間が予想されるので、私ならできるだけ最低限で済ませたくなってしまう。思い入れが強い内容であれば引き継ぎも誠心誠意取り組むが、であればそもそも辞めなくてすむように、何らかの関わり方を模索したい。
 ほかに、辞めたあともそこでの人間関係を良好に保ちたい場合も挨拶が必要かもしれない。
 あるいは何かしらの事情で、本心では辞めたくないのにやむを得ず辞める場合、そんなときはむしろ挨拶したくなるかもしれない。

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