韓国

2回目の渡韓
見るものが違ってくる
住む人が違う
そっちの国の少年たちは
どのように生き、暮らしているのだろうか。
わたしは、石膏と、樹脂粘土とラップをキャリーバックに詰めて、
飛行機が飛び立つ中、簡易的ですぐに型を取れるように考えていた。
卒業旅行と題したビッグイベントの中、みんなから逸れて、瞬間的にコミュニケーションを取ることが必要になる。
難しい課題だ。
ことごとくわたしはボケ老人で、カメラを持っていくのを忘れてしまった。ショックだった。
どこへ歩くも樹脂粘土は最低限持ち歩き、
大きなカバンで出歩く時は、ラップを詰めた。
外にタバコを吸いに行く時に、周りを見てフェチを探す。
みんなから逸れる時はその時だけだった。
何人かに話しかけたが、相手も相手で忙しい。
コミュニケーションの入り口にしか入る隙がなかった。
大きな手で白く、こんなにも寒いのに、彼らは手袋をつけなかった。
口を大きく開けて笑う。しかし、幼稚さは去っていっていた。
お兄さん。お兄さんだ。と感じた。
握りしめた樹脂粘土とはわたしのカバンの中でひっそりと構えたまま、出番が来ることはなかった。

日本のお兄さんたち、少年たちと
あちらの国のお兄さんたち、少年たちは空気感が全然違っていた。

愛は一方向に走っている。 
わたしはそこを捉えたかった。
コミュニケーションは刹那的にできるほどわたしには力がない。
無力さで心がいっぱいだった。

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