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わたしの時間

土曜日の朝。
友人が働いている海の家でスタート。
朝6時から空いている海の家。
すごいな。
朝ごはんを食べにいくとか、今までの私だったら朝やることが多すぎて、家族の生活時間が微妙にずれてて「朝出るなんて、私には無理だー!!」で私は選ばれない人なんだと思って卑屈になっていた。
朝ごはんを外に食べに行くことができる。
朝、ヨガのレッスンに出られる。
自分の時間をオーガナイズする。
やるって決める、決定権は自分にあるのに、決めきれなくて、自分以外のせいにしてる。
子どものお弁当を作らないといけないから
ご飯食べさせないといけないから
お金がかかるから

わたしが、やりたいか、やりたくないかよりも、
やれない理由を探して、わたしには無理だと決めつける。
後付けなので、やれない理由はいくらでもあるよね。そして、作れる。
自分で作った、できない理由に悲観している。もはやこれはプレイだよ…。

「行ってくるから!」というわたしの言葉に、子どもも、オットも「どうぞ、どうぞ」と送り出してくれた。
決めるだけだよね。

1人で外に出られるというのは子どもが大きくなったっていうのがめちゃくちゃ大きい要因。
もしかしたらそれしかないかも…。

人に平等に与えられているのは24時間で、それをどう使うかはその人次第なんだなーとしみじみ。
だったら、できない理由見つけて、悲観しているより、限られた時間の中でどうするかを考える方がよっぽど健康。

私は人より自分のこと以外で拘束される時間は長かったかもしれないけど、(子どもが多いので)それでも、自分の時間は自分でコントロールして、まんきつしよ!と、朝ビーチでヨガをする人たちを見ながら思った。

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