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20230707

友人が古道具屋さんに連れて行ってくれた。

きちんと手入れされた道具たちの佇まいは威厳があって、誰かに使われてきたという安堵感と、誰かに使われるのを静かに待っている様子がとてもいい。
所狭しと並べられて、どうぞどうぞと奥に入っていくと、これもいいなぁ、あれもいいなぁに溢れている。

友人がアトリエをオープンするにあたって、備品を揃えているのだけれど、彼女のアトリエは彼女のテイストで溢れていて、古道具とはいえ、一貫していて清々しい。見惚れる。

私は、
素敵だー!これ欲しいー!と思うものの、自分のセレクトに自信がなく、安物買いの銭失いになってしまうんじゃないかと手が出せない。(いや、決して安くはない)自信がないっていうより、評価が外からの見え方にあるので、自分がいい!というよりも、他の人が見ていいと思うのか?がチラチラして、軸がブレブレ。

元々、「これが好き!」よりも「これはイヤ!」が先に来てしまう方で、好きなものを選ぶというよりも、嫌いなものを排除していくのが選択の常だった。

だから、何かを選ぶときも、これが「好き」というよりも、この中で(このあるもの中で)どれはいやかに重きが置かれていて、私の好きとは違う、「イヤではない」で選ばれたものたちが、私の周りには溢れている。

だからなのか、ものに対する愛着みたいなのは薄い。
でも、使えるから使う、イヤじゃないし、で、使い続けている。そのため、物持ちはいいw

だけど、古道具屋さんにある家具を見ていると、あーこれが好き!で揃えていきたいなぁと思えた。なんでだろな?
誰に何を言われてもこれが好きなんだよ。自分でこれを選んだんだよ。で溢れさせたい。

そんなふうに「これでいいよ」で選ぶのって長女気質もあるんだとか。
うむむ。それだと根深いぞ。
気質ね。
でも、もう、私はこれがいいを増やしたい。
私の好きを見つける旅に出かけることにしよう。

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