どうやら私は「視覚偏重型」だったらしい

「視覚偏重型」に心当たりがありすぎる件

先日、占い師しいたけ先生のブログにて「視覚偏重型」なるものを知った。
https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/entry-12388897135.html
その名の通り、視覚による感覚が特に敏感で記憶に残りやすい人のことらしい。
私自身視覚記憶が強い自覚があったので読んでみたところ、視覚偏重型の人の特徴が見事に心当たりあるものばかりだった。

以下、上記記事より視覚偏重型の特徴について引用する。

① 驚いた時、思わず出る言葉が「うわぁ。。。」

② インスタなど、人の顔を映すというよりかは風景や食べ物の写真を強く残す。綺麗なものを残したい

③ 性欲、他人を蹴落としてまで這い上がろうとするような、人が持つ激しく、生々しい感覚が苦手

④ リラックスできる場所が少ないため、「自分をスピードに乗せて」、色々なタスクを抱え込むことによって、無理やり疲労を作ってリラックスしようとする

⑤ 目にしたものを「写真機で撮るか」のように、映像記録として脳内に残りやすい。だから、自分にとって苦手なもの、不快なものを見たものが強く記憶に残るため、苦手なものに遭遇した場所に行くだけで震えがきたりする

⑥ 自分が共鳴したデザインとかブランド以外持ちたくない。脳内に「これは良いものだ」と映像とか肌の記憶として残ったものを固執して使い続ける

⑦ 不快な経験をした後の切り替えが難しいため、「景色」を変えるために生涯で行く旅の回数がかなり多くなる

⑧ 自分の感覚を麻痺させるために、からいもの、アルコール、またはヨガなど、「一体化」できるものとの時間を持つことがリラックス。今の自分の生身の感覚をOFFにしてもらえるから

⑨ 外見的な特徴はそんなにわかりやすいものはないが、年齢よりも若く見られる人が多い。これは本人の「自己イメージ」が幼少期の映像感覚のまま止まっていることが多いためだと推測される

⑩ 初対面の人と会ったときは一歩引いて、バレないようにすごく観察しているふしがある

もう、びっくりするほど心当たりしかない。どこがどう当たっているのか、以下に書き記してみることにする。自己分析を兼ねて。

自分はいかほどに「視覚偏重型」なのか

① 驚いた時、思わず出る言葉が「うわぁ。。。」

これはまさにそのまんま。驚いたときにそんなに大声は上げない。本気で衝撃を受けた時は血の気が引いたりぞわりとした感覚がくるので、そもそも大声なんて出ない。

② インスタなど、人の顔を映すというよりかは風景や食べ物の写真を強く残す。綺麗なものを残したい

私にはそもそも写真を撮る習慣がほとんどないが、たまに撮るのは風景と食べ物の写真ばかり。人物については入り出ギャラリー時にタカラジェンヌを撮るぐらい(あくまで個人的な記念のために撮る。凄まじく連写するが)。この点では「綺麗なものを残したい」に合致する。

ちなみに「自撮り」は一切しない。自分の顔を撮りたいなんて一切思わないし、積極的に自撮りをする人達の気が知れないレベル。おかげで自分の写っている写真がほぼ皆無に近い。

③ 性欲、他人を蹴落としてまで這い上がろうとするような、人が持つ激しく、生々しい感覚が苦手

これはもう、苦手を通り越して嫌悪している。特に性欲。自分にはそんなもの存在しないとさえ思っているし、存在しているかどうかも分からない。必要だとも思わない。というかあんなの野蛮でしかないから要らない。

他人を蹴落として云々については、露骨に嫌悪はしていないつもりだが好ましくは思っていない気がする。そこまでしたいとは思わないし、自分の実力で上がればいいじゃんと思う。

④ リラックスできる場所が少ないため、「自分をスピードに乗せて」、色々なタスクを抱え込むことによって、無理やり疲労を作ってリラックスしようとする

これはあまり自覚がないが、リラックスできる場所が少ないのは確かかもしれない。むしろどこだとリラックスするのか、あまり考えたことがない。やたら作業を詰め込んで没頭することで快感を得ている節はある。

⑤ 目にしたものを「写真機で撮るか」のように、映像記録として脳内に残りやすい。だから、自分にとって苦手なもの、不快なものを見たものが強く記憶に残るため、苦手なものに遭遇した場所に行くだけで震えがきたりする

これがまさにどんぴしゃというか、私は映像記憶がすごく強い。一度見たら(忘れないとはいかずとも)かなり強く記憶に残る。耳で聞いたことでさえ、文字情報として記憶されていつまでも脳内に残ることがある。苦手なものは視界の端に捉えただけでもぞわりとした感覚に襲われる。

記事でも述べられていることだが、「寝て忘れる」ことがほぼ不可能。寝て起きても、目覚めた最初の瞬間に思い出してしまう。どうやったら寝て忘れられるのか知りたい。

⑥ 自分が共鳴したデザインとかブランド以外持ちたくない。脳内に「これは良いものだ」と映像とか肌の記憶として残ったものを固執して使い続ける

特に何か特定のものに強いこだわりをもつタイプではないつもりだが、一度使いだしたものはいつまでも変えずに使い続ける節がある。まるでそうするのが当たり前であるかのように。

⑦ 不快な経験をした後の切り替えが難しいため、「景色」を変えるために生涯で行く旅の回数がかなり多くなる

「旅の回数がかなり多くなる」というのは該当しないと思ったが、違う形でそうなっていることにあとから気づいた。
つまり、観劇に行くことが多いということだ。旅ではないが、舞台の世界に触れるわけだから「景色」は変わる。非日常に触れるという点ではかなり近いと思う。

⑧ 自分の感覚を麻痺させるために、からいもの、アルコール、またはヨガなど、「一体化」できるものとの時間を持つことがリラックス。今の自分の生身の感覚をOFFにしてもらえるから

からいものもアルコールも苦手だし、ヨガの類もやらないが、「一体化できるものとの時間を持つ」という点では観劇がまさにそれ。舞台の世界に集中することで、そこと一体化して自分の感覚を麻痺させている、と言えると思う。

⑨ 外見的な特徴はそんなにわかりやすいものはないが、年齢よりも若く見られる人が多い。これは本人の「自己イメージ」が幼少期の映像感覚のまま止まっていることが多いためだと推測される

自分的にはまったく嬉しくないのだが、幼少期からずっと実年齢よりも若く見られてきた。年上に見られたことは一度もないため、逆に年上に見られることに憧れがあったりする。

「自己イメージが幼少期の映像感覚のまま止まっている」という点については、そうかもと思う節がなくもない。未だに学生時代の自分のイメージをやんわり感じていたりするからだ。
サバ読みたいわけではないが、自分の感覚では実年齢より5歳ぐらい下のイメージが強かったりする。

⑩ 初対面の人と会ったときは一歩引いて、バレないようにすごく観察しているふしがある

これはまさにその通り。初対面の人とは、話しながら「この人はこういう性質なのかな」と考えていたりする。神経質そうだとかはだいたい分かる。そういうのはできるだけ把握しておかないと、無用なトラブルに発展する危険性があるから。

まさかここまで「視覚偏重型」だったとは

というわけで、いかに自分が「視覚偏重型」であるかがよくわかる結果となった。

明らかに該当しているものもあれば、よく考えてみればそうかも、というものもある。しかし、いずれにせよ10項目どれにもほぼ該当しているのだから、どこまで自分は視覚偏重型なのだと半ば呆れたくなるほどである。

私は旅に出ることは少ない(というか遠征以外で遠出することは滅多にない)のだが、その代わり観劇することで非日常空間に触れていたのだと気づけたのは収穫だった。

そして、長年の悩みであった「寝ても嫌なことが全く忘れられない」原因がわかってすっきりした。多少は。視覚偏重型が影響していたとは。
「寝ても忘れられない」というのは本当に厄介である。どうやっても嫌な記憶が消えないからだ。しかも多くの人は「寝たら忘れる」ようなので、なかなか理解されない。先ほども述べたが、どうやったら寝て忘れられるのか教えてほしい。

「視覚が強い」という自己認識に確信を得る

もとより私は「視覚が強い」という自覚を持っていた。初めての土地に出かけると迷うが二回目以降は景色の記憶が残っていて迷わずに済んだり、舞台を観た時に役者の表情などを細かく覚えていたりするからだ(何故か衣装の色は記憶に残りにくいが)。

そして、その認識はやはり間違っていなかったのだ。

視覚偏重型だからこそできることもあれば、視覚偏重型であるがゆえに不便なこともある。
せっかく自分の性質がわかったのだから、デメリットは極力回避し、メリットを活かしていける生き方を探っていきたい。

#雑記 #しいたけ先生

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