エレクトーンの蓋
オリンピック男子バスケ決勝感動でしたね。
寝不足気味ですが興奮冷めやらず…
一つのことをやり続けるって素敵ですよね。
思えば3歳から18歳まで15年間エレクトーンを習っていました。
小さい頃からやっていたので、練習もわざわざやるというよりもはや生活の一部と言った感じでした。
学校から帰ってとにかく蓋を開けて弾く。
通常のカリキュラムにある曲を弾いたり、資格のための訓練をしたり、定期的にある個人&グループでのコンクールの練習をしたり。
一年を通して割と盛りだくさんでした。
この期間、もちろんずっと楽しい期間だったわけではないです。小学校の時は練習していないのを先生にみられるのが嫌で仮病を使って帰ったこともしばしば。(母ごめん)
しかし、一番伸びた期間はやはり「弾くことが楽しい」と思い練習に没頭していたときでした。
楽しくてたくさん練習するので上手く弾けて、先生にも褒められモチベーションもあがってまた練習が楽しくなって、
より難しい曲に挑戦させてもらえて、それも表現できるようになることが嬉しくて、
楽しくやっている時ほど結果もついてくるんですよね。
それを如実に感じたことがあります。
私は転居などの都合で何度か色んなグループに所属したことがあるのですが、アンサンブルコンクール(複数人で一曲を分担して弾くもの)で金賞を獲ったのは、メンバー全員が音楽を楽しんで、先生すらほぼ介入しなくても自分たちで創り上げていくグループに所属したときでした。
それ以前に所属していたグループは先生や個々のレベルも高く、全国大会に行くようなメンバーも所属していたのですが、レッスンは毎回戦々恐々としていてとにかく厳しく練習練習練習といった環境で取り組んでいました。
結果銀賞はとれるのですが、なかなか金賞にはいたらなく毎年悔しい思いをしていました。
当時は、こんなに頑張って練習しているのにどうして金がとれないのか?
金を取れなければ意味がないくらいに思っていて、いつも金賞をとるあのチームはさぞ過酷な練習を積み重ねているんだろうなぁと思っていました。
その後、転居に伴いその金賞を毎年受賞するグループに所属することになったときに、本当にびっくりしたことを今でも覚えています。
レッスンは真剣ながらも笑顔に溢れていて、一人一人がソロを弾きたい!という熱意に溢れていました。
譜面起こしから自発的で、それまでは先生が書いてくれた楽譜を弾きこむことがほとんどだったのですが、そのグループに入ってからは自分たちでオケのスコアから自分で移調して自分のパートの楽譜を書き上げるといったことからはじめました。
割り振られたパートをただひくのではなく、ここのソロは誰が弾くか、からグループで話し合いです。
その中でも、この旋律はこの人らしいからこの人が弾いたらいいんじゃないかと言った内容や、ここの繋ぎはこうで、といったグループ一人一人の色を生かしたパート割りをして完成させていきます。
その間先生は前の椅子に座っているだけ。
みんなを眺めながら、パート争いをして泣くメンバーを微笑ましく見守りつつ、たまにあくびをしたり。
衝撃でした。
あぁ、そりゃ敵わなかったわけだと子供ながらに気付いたわけです。
自分たちの意思で自分たちの力で自分たちの個性を活かしたうえの表現に勝てるものってないな、と。
一音一音に各メンバーのこだわりが詰まっているわけです。
何度もCDを巻き戻して、この時のサキソフォンの息づかいはどんなタッチで表現するのか?
ここのアイコンタクトは誰と誰がするか?
先生からの技術的な指導も交えつつ、基本的にはみんなでアイデアを出し合い決めていきます。
なんならそもそも弾く楽曲もメンバーで決めてました。
ほとんど与えられたものなどないわけです。
もちろんしゃかりきに練習もします。
良い賞を取りたいということすら頭になかったと思います。
ただ音楽が好きで、エレクトーンが好きで、弾くことの楽しさ、表現することの楽しさを感じて真っ直ぐに日々練習してました。
結果は金賞でした。観客の方が選んでくれるオーディエンス賞も受賞することになりました。
でも、賞を取れたことよりもみんなで一つの曲を作り上げて、それが聴いている人へも滲み出て、伝わったことがとても嬉しかった。
審査員やお客さんに練習風景を話したわけでもないけれど、あの5分間にそれまでの色んなものがぶわっと現れていたのかもしれません。
人に想いを伝える感覚はこの時学んだのではないかなと思います。
好きなことを、楽しんで、継続してやる。
これに勝てるものはないですね。
自分にとってのエレクトーンの蓋、常に持っていたいなと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?