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昔はどんな子どもだったのか

親から見た私


親からよく言われていたことは
おっとりしていてマイペース。悪く言えばぼーっとしている。そして頑固で恋愛のことになると周りが見えなくなって親の言うことを全然聞かない。ということ。いや、ちょっと過保護だったと思うけど(笑)
迷惑かけました。。

教室で静かに過ごすタイプだった小学生時代


小学校のときは休み時間に友達と自由帳に絵を描いたり、ピアノを弾くようなタイプの子どもでした。ポケモンがスタートし、ゲームも流行って友達とゲームするか、駄菓子を買って公園で遊ぶ毎日でした。音楽も聴くようになり、この時買ってもらったCDがSPEEDのWhite Loveでした。
高学年になってからは、なぜかクラスの中心メンバーで活発で明るい外遊び派のお友達ができて外でも遊ぶように。何がきっかけか覚えていないのですが、「意外と話せるんだね!」と言われたのが印象的でした(笑)
この時はモー娘。にハマり、アルバムを買ったり笑う犬の冒険やサタスマなどテレビが楽しい時代でした。

プリクラとカラオケばかりの中学時代

中学校時代は2年生あたりからタバコを吸うようなちょっと悪いお友達ができ、遊びといえばカラオケ→プリクラの流れでした。100cm以上のルーズソックス履いて制服でプリクラ撮るの楽しかったー。あんなこと本当に学生の時しかできないからいい思い出です。この頃から初めて洋楽を聴くようになり、当時流行ったロシアの2人組の歌手T.A.T.u.をよく聴いていました。ハリーポッターの映画もこの頃だったかな?ダニエル・ラドクリフが好きでした。

どっからそんな力が?!

好きな野球部の子がいて、友達に「窓から手振りなよ!」って言われて恥ずかしくて「やだよ!そんなの恥ずかしい!」って言って窓をたたいた瞬間、パリーーーンと割れてしまい後日お小遣いからお金を出して弁償したのを覚えています。自分にそんな馬鹿力あったんだとびっくりした瞬間でした。

先生がくれた漢字一文字

中学卒業の時に先生が一人一人に色紙に漢字一文字を書いて渡してくれました。私のは芯」でした。「芯の強さがあなたの魅力です。」と書いていただいた小さな色紙を今でも持っています。それから、自分の考えをしっかり持ってブレないようにしようと決めたのでした。

バンドに応援団。青春の高校時代

チャンスは巡ってきた

中学で音楽部に入っていたので、高校でも軽音学部に入りたかったのですがその場でグループを組まないといけなくて、さらに希望者が多すぎて抽選だったのでコミュ力のない私は入る前に諦めてしまいました。
その後夏の合唱コンクールでチャンスが巡ってきました。ピアノ伴奏を担当することになったとき、絶対音感を持ってることを知ってもらい、「何で軽音入らなかったの?!入ってよ!」と誘ってもらい、何と入部することができました!

キーボードではいりましたが、ギターもやりたくなり父にギターを買ってもらいました。当時はZONEが流行って、黒いギターをリクエストしたところ、父の好みで何故かクラプトンモデル(エリック・クラプトン)という高価なものを買っていただきました(笑)

毎日ギターを練習したり、ピアノを弾いたり楽器に触れる時間が楽しかったです。今まで1人で演奏していたのが、グループで演奏する楽しさを知り、さらに音楽が好きになった時期でした。アメ村にある小さなライブハウスでの演奏も経験し、3年間バンドを2つかけもちして、音楽を楽しみました。この頃コピーしていたのがアヴリル・ラヴィーンとかGreen Dayとかパンク系だったり、GOING STEADYやモンパチ、シャカラビなどのインディーズ系が多かったです。楽しかったなぁ。

ザ・青春(ださ)

体育祭の時期は応援団のメンバーを募っていて、軽音の子や運動部のような体育会系がほとんどだったので、そんな大きな声を普段出さない私は特に手を挙げなかったのですがなぜか入ることに…中腰でずっと踊るのキツかった。出したことないような大声も練習したなぁ。群れるの苦手なので休憩時間は基本ぼっちでしたが、みんなで汗かいて一体となって頑張った期間はキラキラした時間でした。

なんだかんだ学生時代を振り返ると、おとなしくて「居たの?」という存在の薄さにも関わらず、いろんなタイプの人と過ごして自分だけじゃできないことをたくさん経験できたんだなぁと改めて実感することができました。何でこんな自分を誘ってくれたんだろう?と今でも不思議です。

どんな子供だったかって一言で言うことだと思いますが、気が付けばつらつらと思い出を書き綴ってしまいました。

誰もこんなの読まないと思うので、自分が振り返るための記録として残しておこうと思います。

今回のテーマはこれでおしまい。


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