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途中棄権 ーゴールを目指すことってー

2022年の4月に走ったFUJI 100マイル、わたしはDNFだった。いつの間にか 山を走るようになって15年、気がつけば 経験したレースは100数十を超えていたが、どんなに困難な状況のレースでも それまでDNFだったことは無かった。それは結果論ではあるが、自分にはそれなりには根性と粘り強さがあるのかもしれない。

FUJIのレース中、自分の不注意で眼を怪我した。木の枝が眼球を直撃したのだ。枝が当たった後、眼に石でも入っているのかと思うほどの強い異物感と強い痛みがあり、まずはコンタクトレンズを外そうと思った。思い返すと あの眼の痛みは普通ではなかったし、当たったはずみでコンタクトレンズは取れてしまっていたのだろうけど、片目でもゴールを目指そうと思っていたわたしは、とにかく 眼の強烈な異物感をなんとかしたくて、トレイルを進みながら、眼から血が流れていることにも気付かず 何度も何度も眼に指を入れて 眼に貼り付いていると思い込んでいたコンタクトレンズを取るべく 苦しみもがいていた。眼は次第に 歩くこともままならなくなるほど激しく痛むようになり、わたしは初めて、自分の意思で ゴールを目指すことを諦めた。110km地点あたり。

病院へ連れて行ってもらう車の中、耐え難い痛みに唸り声をずっとあげていた。病院の駐車場に着いて 病院内に入るまでの数十メートルが 途方も無く遠く感じ、やっとの思いで病院内の待合室のベンチに座る。いや 正確には、あまりの痛みに座っていることができず、待合室で横になり 自分の名前が呼ばれるのを待っていた。診察室に移動する視界も気力も失っていたわたしは、人生初めての車椅子に乗せてもらい やっと診察室へ。
「あぁ、眼球の膜が裂けてますね。眼球破裂は無し。傷がちょっと深いので 縫合しましょう。入院できますか?」
幸運にも それまで入院をしたことも 骨折をしたことも 縫うような外傷を負ったことも無い人生を送ってきたわたしには、初めて聞くワードが多すぎて、先生が言ったことを理解するまでに少し時間がかかったが、自分が眼に大きな傷を負っていたことを そこで初めて知った。診てくれた先生が 若いイケメン医師だったことは後から聞いて知った。

思考の全てが「痛い」だった。写真を見て後から気づいたけど、ここのベンチは「Not available」だったの…?


ゴールを目指すことを諦めた瞬間に わたしが何を思ったか。
「あぁもうこれで走らなくて済む」とホッとした自分がいた。
眼を縫うと聞いて 何を思ったか。
「誰が見ても納得の、レースを止める理由が自分にはあったんだ」とホッとした自分がいた。

眼球に打つ麻酔の注射の痛みと 何度も眼に迫り来ては刺さってくる針の恐怖に、失神するかと思うほど悶絶し悲鳴をあげながらも、わたしはどこかで安堵していた。

治療を終えて、わたしは会場に戻った。
3年ぶりに開催されたFUJIという大会の空気にもう少し浸かっていたかったし、友達のゴールを讃えに行きたかったし、何よりひとりになりたくなかった。そして、みんなに大丈夫だよと伝えたかったのかもしれないし、みんなから心配してもらいたかったのかもしれなかった。
わたしのテンションはいつも通り、むしろ 久しぶりに会う仲間もそこにはたくさんいて いつもより元気だった。
でも、家に帰って玄関のドアを閉めた瞬間、わたしは突然声をあげた。まるで小学生かのようにわんわん泣いていた。ティーンになって以降 記憶にある限り、こんな泣き方をしたのは後にも先にもこの日しか無かったと思う。
怪我をして「これ以上 走らなくて済む」と安堵した自分、眼を縫うことになり 誰に言わせても「止めて正解」と言ってもらえるだろう状況に安堵した自分が とにかく残念でならなかった。好きでやっていることではなかったか。プロアスリートでもない、表彰台に立つようなトップアスリートでもない、好きで走っている一市民ランナーのわたしが、人に何を認めてもらいたかったと言うのだ。自分の残念さに涙が止まらなかった。

わたしにとって「山を走ること」って何なのか。「ゴールを目指すこと」って何だったのか。

この怪我を経験して良かったなどと思える日は来ないと思うけど、その年、会社を辞めてまでも挑戦しようとしていたトリプルクラウン(※)を控えていたわたしには、山を越えゴールを目指すことの意味に真っ向から向き合うきっかけが訪れたことは良かったのかもしれない。

これは5年ぐらい前。レースを走っているけど、時計もつけず(ついこないだまで持ってなかった)、ただ楽しくて走り回っていた頃を思い出したり。
眼を怪我した後 初のトレイル。片目の視力が戻ってなくておっかなびっくりの箱根外輪。やっぱり 自然の中でクタクタ腹ペコになるまで遊べるなんて、最高に幸せだ。

※トリプルクラウン
4ヶ月の間にアメリカで開催される3つの200マイル超のレースを同年内に全て完走することで得られる称号。
(TAHOE in mid-June, BIGFOOT in August, MOAB in early October)

photo by MKT, Daisuke A., Tatsuru T., Satoru A.

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