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線引き

自分と相手との間に、明確な境界線を引く。

苦手だ。

それが、受け入れたって結果的に感情を腐らせたり、爆発させている、それならもう、最初から受け入れられぬものは、きっぱり断る、と変わった。

線引き、頑張ってる。
全体像が見えてこないけど、石灰を入れたコロコロ(?)を引いて、グラウンドをちまちま歩いてる感覚だけど。

自分の中に、曖昧さがあるのは当たり前。
正常と異常、発達やセクシュアリティも、きっとあらゆることは曖昧なグラデーションであって、私たちは個々に、そのどこかを生きている。

そこにあるのは、ただの『特性』。
自分の本質を「矯正」したいとか、直視できない部分を「なかった」ことにしようとしても、それは生木を割くようなことなんだ、と最近思えるようになった。
絵を描き続けてきたから、見えてきたこと。

だけど、自分と相手との間には、明確に線引きができる。
むしろ、意識的に線を引いた方がいいんだ。

私がここまで『自分』について考えるようになったのも、強く意識したからだ。
変わる、変える、って。


長男との間に線引きができるよう、距離感を見直し始めたのも。


依頼をイラストにする仕事だけど、一番の根底に『自分は何を描きたいか』を見据えるようになったのも。


…だけど今まで、線引きが出来なかった人間が、一朝一夕に出来るようになるわけなくて。
苦手だからと避けてきた分、今まで通りの考え方、体の動かし方をなぞりやすくて。

あぁやっちゃった、次はハッキリ引けたらいいな、の繰り返し。

この本とても良かった。
『私を振り回してくるあの人から 自分を守る本』

振り回してくる、ってそんな明確に見えやすいものじゃなくても。
振り回されてる、優しさを搾取されてる気がする、大切にされてる気がしない、一緒にいるとなんか疲れる、相手には私にも感情があるって理解できないみたい、本当は相手したくない、だけど、どうしたら…そんな気持ちがあるひとには、驚くほど明快な内容。

著者はモラハラ専門のカウンセラーなんだけど、彼のブログの、被害者体質について詳しく書かれた記事が、頷き過ぎて首がもげそうっていうか。思い当たるところが多過ぎて…

あぁ、和をもって尊しと為す、と生きてきたけど。
線引き苦手、と相手ではなく、線引きから逃げてきた私。
出会う人が悪けりゃ、私の振る舞いは簡単に、相手をモラハラの人に出来るんだな、と悟るくらい。

ハッと気づいたことがあって。
私は私、私から出てきた絵は、「作品」として私とは別物なんだと。
まるで子育て。我が子は別の、個人。

今まで何度も、SNSで挙げた私の「作品」が、例えば暗い(本人の意図は静謐)色合いだったり、荒々しい(本人の意図はダイナミック)タッチだったからと、

大丈夫?

みたいな、「私」に対する心配を寄せてくるのがどうしても嫌で、でもそれを言葉にできないもんだから、モヤモヤを抱えていたわけで。

これは「作品」だから、私と切り離して。
私から出てきた表現だけど、私と同一視する感想を言ってこないで。私はそれ、嫌なの。

ようやく言えた。


言えると、癒えることがあって。
子育てにおける、優しい、愛情に満ちた瞬間を切り取ったイラストを指して、『あなたっていいお母さん、優しいお母さんねぇ』と言われるのが苦手なのも、相手が作品と私を混同していることに、私が耐えられないからだ。

私にとっては子育ても、曖昧なグラデーション。
ぱっきりハッキリ、明るくてハッピーなばかりじゃないやい。
むしろこんな自分と会いたくなかった、という修羅の顔がぞくぞくと出てきて、辟易するほどに。
だけどそんな中にも、愛おしいと思う瞬間があるから、それを描き留めておきたいだけなんだ。
絵に私を塗り込めないで。
描かれた内容に対して、何か言って。

映画『インサイド・ヘッド』でも言ってた、悲しみがあるから喜びが輝くんだと。
色々取り混ぜて、生きていくんだ。


線引き修行は続く。

長男の特性について、相談している先があって、心理士に繋いで欲しいのだけど、待てど暮らせど繋いでもらえない。

せめていつと分からないか、と電話をかけたら、それは確認します、ところでどうですかお母さん、最近?と、話聞いて欲しくてかけてないのに、そっちに持って行かれて、

私もよせばいいのに、
食事の際、ひとつの皿を見るとそれしか目に入らないようで、おかずと米、汁物を一緒に食べずに、おかずばかりどんどんおかわりして食べて、結局「食べ過ぎて、気持ち悪い」と米を途中で食べられなくなることが多くて、
なんて話してたら、

ちょっとくらい、好きなだけ食べていいよって状況に、出来ないですかお母さん?
と返ってきて、あぁ、私はまた全方位に線引きを怠っていたのだ、と悟った。

私はもうすでに、十分過ぎる量を用意してる。
足りないなら、よく噛めばいい。米や汁物を入れればいい。
これ以上は頑張れないし、頑張りたくない。
長男にも、これ以上はダメです、を理解させたい。だから特性にそってどう声がけしたら?と話しているのに、ちょっとくらいって何?

と問うたら、相手は慌てたように、うん、お母さんがそう決めてるならいいんです、と言ってじゃ確認してご連絡しますね!と会話を終わらせた。

ちなみに、未だに心理士に繋いでもらえていない。

線引きは、絶望にも似ている。
絶望のネガティブな響きに囚われるな。望みがどこにも無いと分かれば、ひとは「どうしよっかな」と他へ動けるのだ。
変に期待を残すから、そこから動きが取れなくなるんだ。

ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!