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生活など召使いに任せておけ

などとうっすら考えていたことがある。若い頃、召使いもいないのに。生活のような些事は脇に置いて、もっと重要で大切なことにかまけるべきだと。自分のささやかすぎる暮らしにはあまり目を向けず、いい本や映画、音楽、美術、そういった素晴らしいものに意識を向けよう。そういうマインドでいたら案の定、すべてのものが仮置き、仮決めで、仮暮らしの砂の中になにもかも埋もれていった。

ところがここ最近は生活ばかりである。生活ハイと言ってもいい。具体的には、家中の収納の見直しと殺風景な壁面の装飾の検討である。

家にあるものをいい感じに納めたいという欲求にかられて、洗濯機の横にマグネットでつけられるちょうどいい小物入れを探す。洗面所の掃除用のスポンジ、あれはシンクに置いてると邪魔くさいから、吸盤で壁面に貼り付けて浮かせよう。こういうことを日がな考えながら、Amazonか楽天市場をぐるぐると徘徊している。無印良品や山崎実業、ライクイット、マーナといったメーカーが「自分の収納的無意識がこれを求めていた」と高ぶるようなちょうどいい具合のものを出していて、こういうものがすぐにヒットするインターネットショッピングのありがたみを噛み締める。

こういうのを「暮らしを整える」と言ってみると聞こえはいいが、そういう丁寧さともちがう気がする。もともとずぼらでだらしないので、そういう人間でもぐずぐずにならない仕組みをなんとか確立したいという心である。そして実際に収納を見直している時の頭の状態は、ゲームの倉庫番とかテトリスとかに没頭しているのに近い。家全体でのっそりとスローなテトリスをやって、ごちゃつきや不便を消滅させているのだ。

イメージするのは、優秀な総務部が管理している備品やファイルの棚である。ああいう誰が引き継いでもなんとかなるようなシステマチックなものに憧れる。猟奇殺人犯に挑む刑事たちが地下の資料室で探る紙のファイルボックス。あんな書類の整理の仕方も素敵ですね。きちんと分類してラベリングして。実際、昨日は衣装ケースや書類棚の引き出しに貼るラベルをテプラでちまちまと作っていた。

それから壁。越してきて5年、ただの白い壁紙で味気なく、ずっと気になっていたがどうこうする踏ん切りがつかなかった。勇気がなかった。だが時は満ちた。色だ色、と思い、「色の絵」としか言いようのないマーク・ロスコの額装したポスターを飾る。すると、おお、色じゃないか。色はきれいだという気持ちになる。しかし名画系ばかりだと一般家庭には重たいというか過剰かなという気もして、THE POSTER CLUBなどのしゃらくさいデザイナー系のポスターも検索する(高くておいそれとは買えないけれど)。まだまだ壁はあるぞ。

しかしこんなことを毎日続けていると、生活をどうこうすることにかまけてばかりで自分はそれでいいのかと、今度はそっちになにか不安を覚えてくる。表題の喩えでいうなら召使いの役しかしていない。そもそも自分の言う「生活」って、単にインターネットで買い物して、それを家に導入してるだけじゃないか。消費を生活と言い換えているだけのように感じてなんとなく恥じ入る。消費に恥じ入るというこの心理もどういうものなのだろうと思うけれど…。

テスト前に急に整理整頓したくなってくる、その状態がここ最近の自分にしばらく続いてるだけではないかとも思う。実際、いい歳なのにテスト前なのに全然勉強してなくて焦る夢をまあまあの頻度でみる。現実にテストはもうないから、問題は意識の深いところでは「もっと重要で大切なこと」が何かある気がしているのにそれが具体的にはわからず、得体の知れない不安から目をそらすようにネットで収納グッズやポスターを延々と検索していることかもしれない。もしくは、ふいにこの熱が冷めて、生活の全部がどうでもよくなり、また砂に戻っていくかもしれない。そんなことを思っていると、私の中の召使いが「うちの主人は馬鹿だ」という冷ややかな目をして横をするりと通り抜けていく。

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