産婦人科を選び、 辿り着いた場所。
第1回の記事で、私が産婦人科医になった理由を書きました。
それに伴う心理的な変化を書きたいと思います。
産婦人科を選んで後悔したこと
まず一言でいうと、産婦人科を選んで後悔したことは1度たりともありません!産婦人科の最初の1〜2年正直辛かった。当時は紙カルテから電子カルテへの移行期だったので両方使っていましたし、何をするにも自信がなくて、助産師さん、看護師さんからの信頼も薄かった。気疲れが多かったと思います。
他にも、朝早く行ってその日の手術の患者さんの点滴を取る(朝ギリギリに行っていたのでどうしても点滴失敗ができなかった。なので随分上達しました、)そして翌日の入院する人のオーダーをたてる(入院後1日目には何をして、2日目には何をする、何を点滴するか決めておく、血液検査の項目を決めておく、何日目に退院する)というのが入局1年目の仕事でした。
1年目が数人いれば分担もできたのですが、私1人だったので全部私の仕事でした。上の先生も凄くテキパキした先生方だったので、先生たちに迷惑をかけてはいけないと使命感&責任感で働いていました。
その分先輩方にはめちゃくちゃ可愛がってもらいました。金魚のふんみたいにどこに行くにもついていって、見学して、わかってきたら先輩に見守られながら自分でする。こうやって少しづつスキルアップしていきました。
1年目からみた2年目の先生は何でもできてとってもかっこよかった。ほぼ女性の先生方でしたが、みんな面白いし、仕事もできるし、気前も良い。憧れの存在でした。そんな環境下だったので、仕事はハードだったけど楽しかった。産婦人科を選んだのは駆け込みだったけど、良い選択をしたなと思いました。
その後2年目の生活もハードでした。前回書いたように月12回の当直(病院内6回+外病院6回)それもハードな当直で、たまに完徹、平均で1回の当直(夜8時〜朝6時)につき、お産は2〜3件+救急車1〜2件+αでした。2時間に1回は必ず起こされる感じ。帝王切開になりそうな妊婦さんがいた場合は緊張して眠れませんでした。
朝6時半に起きて、7時半に病院についてまた通常の勤務。
この時期です。当直室で自分の顔を見たら右側頭部に径2cmの円形脱毛ができて、慌てて髪を結んで隠して働いていました。
自分の好きなことを、好きな人たちとできる幸せ
ただ、毎日新鮮で色んな経験を積んでいたので全然辛くなかった。朝病院に戻るといつも上の先生が「お疲れ!!どうだった?大変だった?」って聞いてくれるし、「〇〇な人が来て、昨日はこう対応したんですけど先生ならどうしていましたか?」って聞くと「俺ならもう少しこうするかな〜」って教えてくれました。
大変だけど、好きな仕事だから辛くなかった。
あと職場の人からの愛が感じられたから、その方々(患者さん然り、看護師さん、助産師さん、先生方)の期待に応えたいと思って頑張れました。
進路で悩んでる人にはまず「好きなことを選んでほしい」心から思います。そして周りの人を大切にしてほしい。自分が働く環境は自分の態度で変わると思っています。
大切なので2度言います。消去法じゃなくて、好きなことで決めてほしい。そして最高の職場環境にするために周りの人を大切にしてほしい。
その他は案外どうにかなるものです。
臨床のみという生活からの旅立ち
数年立って予防医療普及協会に入ってからは若干心境の変化がありました。
その頃はよく「三輪ちゃんてさ、どこを目指しているの?何になりたいの?芸能人?」とかバカにされていました。それはちょっと傷ついた。自分の目の前にある好きなこととか興味のあるものを追いかけていただけだから、「子宮頸がんの予防啓発」は明確にあったけれどもその先のビジョンやゴールを設定してはいなかった。
でも、前進していくことで世界は開けてきます。当時は「自分でもわからない」が答えだったけど、開けた世界で新しくできた友達は自分が行動したことでできた友達だし、その人達と知り合えたことは馬鹿にされることよりももっともっと大事なことだった。
新しい世界の人たちはいつもインスピレーションをくれます。物事の新しい見方を教えてくれる。問題の新しい解き方を教えてくれる。
そういう人たちに囲まれて幸せだし、産婦人科医としての知見をその方々の役に立てるようなお仕事ができればいいと思っている。
今の新しい目標は社会に溶け込む産婦人科医になるということ。ヘルスケアについて困ることがあればなにかアドバイスを求められるような人になっていきたいと思っています。
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