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お義母さんと呼ぶわけは


あの日、黙って家を出た。

握っていたのは、実家の両親からもらった封筒に入った1万円だった。

2階から、足音を立てずにそっと階段を下りて、静かに静かに玄関の外に出た。

台所の引き戸は締まっていて、中ではおかあさんと、お姉ちゃんが夕食の

支度をしていた。

あの台所から漏れる光をみると、あの台所から漏れ聞こえる声を聞くと、

息が苦しくなった。

いつも深呼吸して、あの引き戸を開けていたけど。

開けることを選ばなくてもいいんじゃないか。

もう、開けなくてもいいんじゃないか。

私の人生にも一度くらいわがままなドラマのような一瞬があってもいいんじゃないか。

そう思って駆けだした。

背中には、まだ1歳にならない長男がいた。

私はなが靴で、今ならおんぶケープと呼ばれる亀の甲を身に着けて

ただひたすら、街の商店街に向かって走り出した。

走って走って息が上がり、子供は揺れる。

泣かないでねごめんねと言いながら薄暗い道をただただ走った。

街の商店街についたところでほの明るく光る、果物屋の前の公衆電話に駆け寄る。

そこに公衆電話があることを知っていた。

タクシーを呼んで、一番近い新幹線が走る駅の名前を告げた。

何も荷物を持たない、なが靴で亀の甲の子連れの若い女性。

運転手さんは遠慮がちに声をかけてくれたが、私は何も答えず

ただ座っていた。早く駅につかないかと窓の外を見ていた。

どうかばれないでほしいと思っていた。

どうにか私を実家まで見逃してほしいと思っていた。

声を出したら見つかってしまいそうで。

うかつに息もできなかった。

子供が泣かなかったのはなぜだかわからない。

駅に着き、封筒から1万円を出して、お釣りをもらった。

運転手さんは優しい声をかけてくれた気はするけれど

うまく答えられたかもう覚えていない。

封筒に入れたまとまりのないお金を、

券売機に入れる。

実家に向かう新幹線の切符を買う。

誰にも追われていないのに、私は逃げ出した自覚しかなく、

私は逃げ出した自分を認めているのに、逃げ出す理由も申し分ないと

感じているのに、一番自分を責めていたのかもしれない。

新幹線の中でも息子は泣き音一つ出さなかった。

ただ私の背中にくっついていた。

もう私にはこの子しかいないかもしれないし、

この子だけは手放せなかった。

この子の不幸より、自分の不幸を嘆いていたなんて

本当にどうかしていたんだろう。

駅に着いた時には実家から父が迎えに来ていた。

電話をいつしたのかも覚えていない。

妹もいたような気もする。

2人は怒る前に笑い出した。

いくら何でも田舎者すぎるだろうと。

きらきらとネオンが煌めく駅の外と私は随分とかけ離れていたから。

その後は大騒ぎになった。

もちろん夫は飛んで迎えに来たし、夫の家族は急な嫁の家出に

右往左往して十分に傷ついて疲弊したと思う。

誰かを傷つけることを恐れる余裕もなく

誰かの愛情を推し量るほどの器量もなく

ただ、自分だけがかわいそうだと思っていた。

友達もいない。

気軽に冗談も言えない。

妹もいない。父も母もいない。

雑談も緊張する。

何かをすれば失敗し。

何かをしようとすれば、赤ちゃんを見ていていいよと言われる。

今、降りていき夕飯を手伝えばいいのかな。

今、何かすることありますかと聞けばいいのかな。

あんな大きな音でドアを閉めるのはどうしてかな。

私が何か至らなかったからかな。

手伝うことはないよっていうのは本当かな。

本当は手伝ったほうがいいよね。

いくつの答えのない問いを一人で答えていたのだろう。

いくつもいくつも頭に浮かぶ質問を口に出して

答えを持つ人に投げかけることさえできなかったあの頃。

思い図るすべてに✖がつくような毎日だった。

自分という人間が、これほどまでに無価値で不出来だと

烙印を押されるような毎日だった。


駆けだした一瞬の開放感と引き換えに、逃げ出した私には

あの場所に帰るという十字架が重くのしかかった。

父に連れられて行った病院で、心の様子に名前がついた。

そのことに心底ほっとして、しばらくの実家での休養の後

私は嫁ぎ先である自宅に戻った。

自分が大いに意図的に傷つけた家族はそれでもその傷を

伏せて隠して私を受け入れてくれた。

許されて今がある。

私が嫁ぐときに、義理の母は

「本当の母親だと思ってね。私も本当の娘だと思うから。」

と温かい声をかけてくれた。

若く未熟な私はこの言葉をありがたく頂戴したが、

完璧主義で自分のルールのある母の

機嫌で言うことややることが変わりがちな母の

姉との密着した関係性の母の

本当の娘になることができなかった。

自宅に帰る夫が運転する車の中で、高速道路のトンネルを

抜ける時に唐突に

私はおかあさんの本当の娘にはもう一生ならないと決めた。

ずっと他人だ。ずっと、他人なんだ。

そう決めてからは、だいぶ楽になった。

それでもずっとずっと窮屈な思いをしてきたけれど

他人だから、優しく大切に思うこともできた。

他人だから、冷静で沈着に許せてきたあれやこれや。

きっとお義母さんもそうだろう。

あの日から、きっとお義母さんも私を娘とは思っていない確信がある。

今、私はお義母さんが私を迎え入れた年齢に近づいてきた。

お義母さん、やりたいこといっぱいあったのに、私が嫁に来て大変だったね

最近、そんな風に声をかけたことがある。

そうだねえ、でも若いうちに孫が見れてよかったよ。

お義母さんはそんな風に言ってくれた。

私も義母もこの家族を頑張り、ここにいる。同志なんだなと思う。

あの裏切りも葛藤も戸惑いも。数え切れないお互いの許せないを抱えて。

全てがなくなるわけはないけれど、見ないふりをして生きている。

あの失敗があったから。

私は頑なに、意固地に呼び続けるだろう。

本当のおかあさんと同じです!なんて気持ちの良い対応をできるわけがない。

名前で呼んでるんですよ、友達みたいな感じで!なんて、絶対に言えない。

一度も思ったことがないから。

お義母さん、この呼び名に違和感を感じるなんて言えるわけがない。

この呼び名の立ち位置こそが私を救ってくれたのだから。

私は夫の母をお義母さんと呼んでいる。

大事な家族で、大事な他人だが、お母さんではない。

お義父さんもまたしかり。




お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。