同じ空をみている
ちゃんと向かいあって話すのは、
実は、はじめましてでした。
遠慮しいのこの人が、折いって…の前口上のメッセージをくれたので
食い気味に、もしもしですか。いいですよ。と言いました。
誘われるのは得意です。おだんごです。
約束の時間にスマホの向こうのその人は
あのね、これを見せようと思って。と私に
青春の景色を見せました。好きだよね?
もちろん、大好きだよ、世代だよ。
私はこの景色を背景にしたドラマが放映された頃、がっつりママでした。
周りより少し早くママになり、まだ自分自身を諦めきれませんでした。
私にとって諦めきれない青春が、木更津キャッツアイでした。
ママとして頼りなく不甲斐ない自分の中にいる、宮藤官九郎さんの作品にはしゃぐ私を愛しいと思っていました。
ママとして自信のない私が、唯一息抜きのように楽しんでいたのが木更津キャッツアイです。
そんな懐かしい景色を、私に見せてくれた人は
noteの出会いから礼儀正しく、真面目でした。
出会いの頃、私に、コンテストに出す記事を書いたらいいですよ。と声をかけてくれて、原案を読んでくれたりしたこともあったよね。
彼女の名前はくま。昔はくまさんで、
よく丁寧すぎる人にくまさんさんと呼ばれていました。
愛燦燦だな。と思っていました。
くまさんは、私にとって仕事の話をまじめにできる貴重な友人です。
私が普段noteで書いている仕事に対するスタンスとか、想いをリアルな現場でnoteの情熱では口に出しません。
冷静に考えて…
うざーいもん。絶対。こんな同僚うざーいだよ。
だけど、私は誰かと話したかったんだ。と気づきます。
彼女との出会いはそれをはっきりと私に自覚させてくれました。
話したことを全て時系列に書き記すようなことが苦手なので、
ここでは、心に残るやり取りを残しておこうと思います。
noteで書けないことを話したい。くまさんはそういいました。私も顔を合わせて話す1番はそこに尽きると思います。
書かないことに含まれている要素を、互いにこう考えていると意見交換や、気持ちの吐露をしました。
おだんごさんに大丈夫だよ。と伝えたかった。
くまさんはそう言いました。
私はね、くまさんを大丈夫じゃないと思ったことがないよ。
くまさんのことは大丈夫だと信じているよ。と
いいました。
おー、伝わっていた。とくまさんはいいました。
うんうん。と私は笑いました。
書かないことの中のいろいろも、書いてあるものから読み取ることができるくらいに、仲を深めてきたという自負があります。
わかっていたよ。
次に、私たちは、本当にたまたま同じ時期に職場を変わり、今、同じような訪問をして個別にご利用者に関わる仕事をしています。
そこもまた不思議な縁ですが、そこでもどかしく思っていることや、鍛えていることなども共通していました。
私もくまさんも本来得意としている自分達の強みは、訪問では活かせないことをわかっていました。
この手が使えない…という持ち駒の一手をさせない中で、どう向き合いどう関わるか。に毎日奮闘しているという話で盛り上がりました。
この、得意を封印する。というやり方で見つける新たなアプローチの獲得が、新たな自分の強みになる未来に、ワクワクするような気持ちになりました。
向いてないんだよね。と愚痴を言ったり
なんか前のが面白かったよね。と比べたり
んなことよりも、うまくいかない中で何を面白がれるかを話しあえる仲間がいること。
答えがないこと。それに挫けないこと。
人の数だけやり方はあること。
簡単な正解や不正解に惑わされないこと。
優劣だけではないものさしをもつこと。
くまさんとのやりとりには、常にリスペクトと
受容が溢れていて、思考の柔軟体操をして可動域が広がる心地良さでした。
noteも仕事も人間関係も、全ては出会いに育まれています。
今、周囲にいてくださる方や
目や耳を傾けてくださる方への感謝と敬意を欠かすことなく
私たちはここで呼吸を続けていくだろうな。とそんなことを思いました。
私たちは向かい合って話をしましたが
同じ空をみていました。
同じ空を並んで見ながら、話をしたのだと思います。
あの赤い橋の向こうに、薄いグレーの雲が雨を降らせはじめていたよね。
今日は、くまさんとのもしもしデートのnote。
noteで出会えた大切な友達へ、これからもどうぞよろしくね。のnoteです。
最近のおすすめくまnote
くまさんが呼応noteを書いてくださいました。
同じ景色を隣で見ていた人の文章を味わえるのは贅沢なことと自覚しています。ありがとう!
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。