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大きくなったね


21年前の朝も今日のようにいい天気でした。


私は分娩室で、2いきみぐらいで産んだような気が

します。

おぎゃあと聴こえて、分娩室に朝日が差し込んでいたこと。

産んですぐだから、朝ごはんはパスする?と聞く

看護師さんに

絶対に食べます。お腹が空きました。と言ったことしか覚えていません。

納豆ご飯をかき込みながら、やはり2回目ともなると、私も上手くなったものだと調子にのっていました。

4年後、3番目を生む時に知ります。

あれは、2番目の息子が世に出るのが上手なだけでした。

あいつのおかげであった。すまない、母は勘違いしていたぞよ。と思うのは、なかなか出てこない
3番目の息子を産む分娩室でした。

小さい頃から手のかからない子でした。

昼寝するからと、哺乳瓶をひとりで転がりながら飲んで、ことりと寝ていました。あれがどのくらいの時か忘れましたが、頼もしかったです。


次男は身長が他の子に比べてどうやら小さい。
とわかったのは、保育園の頃でした。

低身長について、私は自分が低身長のためあまり気にならなかったのですが、周囲からの心配の声は成長とともに大きくなりました。

いっぱい食べさせている?

牛乳飲めばいいよ。

肉食べさせなさい。

治療もあるよ。

人が親切で言ってくれる言葉にいちいち傷ついていました。

うるせえな。背が小さいのはそんなに悪いことか?

少し困ったような顔をして、様々なアドバイスを薄く笑いながらありがとうと頭を下げて受け止めた日々。

元気で機転がきいて、アイデアマンのユーモラスな息子を気に入っているのに。

身長なんか別に関係ないんだよ。

そんな風に本当のことを言えるほどには、私は
強くなく、世間や家族の心配に追随するしかなく、また、暗に私が小さいことで息子を苦しめていると責められていると感じては、いいようのない申し訳なさを感じていました。

同じ歳の子が100人いて、背の順で並んだ時1番前の子が低身長の治療対象です。


小学生の頃、相談に行った病院でそう言われて、
次男は3番目ぐらいでした。


低身長の治療は大変高額で、通院やホルモン投与で身体にも時間にも負担がありました。


私と夫は、治療を進める周囲の声に対し、治療はしないと決めて、次男の成長を見守りました。

治療をするしないは、親の決断で、本当の良い悪いは一生正解がないと思います。


もっと大きかったら。彼は何万回も思ったでしょう。

自分の力ではどうしようもないことを、いじられたり、根拠の定かではないアドバイスを、無闇に押し付けられたあの頃。

こうしたら、ああしたら。

時期がくれば。いつか伸びる。

見えない未来を、責任なく予言する人達に

苛立つことも沢山あったでしょう。

私はその彼を追い詰めることはあっても

常に味方でいてやることはできませんでした。

私も周囲の声に惑わされ、無理なことを言ったり

やらせたりしていたことが沢山でした。

ごめんね。ごめんよ。

それでも、彼は淡々と日々を重ねていました。

悔しさも憤りも苛立ちも。全て内包して

人にひけらかし、あたり散らすことはありませんでした。

今、21歳になった彼は163センチに成長しました。

本人は今も、もしかしたら困りごとはあるかも

知れませんが、私から見たら何もありません。


自炊して、家計簿をつけて、バイトをして

勉強をして、彼女にご飯を作ったりして。

家族の中で1番優しいのは、彼だと思っています。

心がでかいのは、彼だと思っています。


子育てを振り返れば、ダメなことしか思い出されません。謝ることばかりです。

しかし、一緒に過ごした時間に浮かぶ彼は、
皮肉やで愉快で、気の利いた笑顔ばかりが浮かびます。

調子の良い、甘えた母親でした。

記憶は都合よく整理されているのでしょう。

21年前、するりと生まれたおまえは、あの日から
ずっと一貫して、親孝行な息子です。


お母は、おまえのお母さんになれたのは、人生の中でもかなりラッキーな出来事だったと思います。


紆余曲折も困難も、お前ならばどうにかなります。


21歳の毎日に、小さな幸せがたくさんありますように。


おめでとう。そしてありがとう。


#次男へ
#おめでとう

お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。