見出し画像

おかえりなさいがフライング

私は、かけっこが苦手な子供でした。

よーいどんのピストルにびびって、ワンテンポ遅れて走り出すような子供でした。

運動会でゴールすると、3位とか4位とかで、体操着の半そでに、安全ピンでリボンをつけてもらうときに黄色とかオレンジでした。

1位は赤で、2位は水色でした。そういうリボンに憧れていたなあと思い出します。

よーいどんが苦手な私は、中学生の時水泳部でした。

飛び込み台の上から飛び出す前、飛び込み台に手をそろえ、指を伸ばします。

膝を少し曲げて心を整える瞬間に、ピストルが待ちきれず落ちてしまうことがあります。

ドボンと落ちた水の中から浮き上がり、上を見上げると、高いところから見下ろすほかの選手がいます。みんな緊張しているから冷たい視線です。

一人だけ濡れた体でよいしょとプールサイドに上がるころには、恥ずかしいよりもなんだか開き直るような気持ちになりました。

先に水と出会ったことを得をしたような気持ちになりました。

ぶるっぶるっと頭を振って、水中眼鏡をつけなおすときにはもう、かなり落ち着いていて、ふてぶてしいほどです。人を待たせておいてなんですが。

もう一度飛び込み台に上がるときは、もうなるようになるとしか思えなくなりました。ピストルの音を聞いてから飛び込みました。


私の昨日のnoteに、久しぶりのコメントに訪れてくれた人がいました。

柴犬のアイコンを持つその人の名前はバクゼンさんと言います。

バクゼンさんは、ある日をきっかけに私がnoteを書くと、それがどんなnoteであろうと、必ずコメントに遊びに来てくれるようになりました。

そのコメントに励まされ、力をもらい、明日も書こう、あのことも書こうと

エネルギーをもらいました。

時々、自分の書いたものがコメントにより大きく飛躍することがあります。

思いがけない翼を広げて、飛び立つときにたいていそのnoteの背中には

バクゼンさんがいました。

私のnoteのコメント欄が、もはやバクゼンさんのnoteなんじゃないかと錯覚を起こすこともありました。

錯覚だと気付いたのは、バクゼンさんが書きだしたnoteでした。

バクゼンさんのnoteは、驚くほどバクゼンさんでした。

文章に滲む人間力、深さ、豊かさそこに至る葛藤と切実。見え隠れするユーモア。深くして軽やか。私の目指すものです。

noteに引き込まれ、一瞬自分がどこかに連れていかれる。そんなnoteでした。

心が震えました。心からおすすめもしています。

もう一つ。私が好きなバクゼン節を。

人にはそれぞれ好きなものがあります。私は自分の好きなものを人に紹介するのがあまり上手ではありません。

好きは一番自由であるべきと考えるからです。

ただ、出会いはたくさんあるべきと思っています。

きっかけは無数です。

バクゼンさんが、少しnoteを休むといったとき、漠然と不安になりました。

(狙ってないです!たまたま!!)

もう帰ってこなくても、もう会えなくなっても全然おかしくない。

おかあ、SNSをわからないといけないよ。息子の言葉が繰り返されます。


こんなに親しくなったような気がしても、こんなに繋がったような気がしても、不意に、なんとはなしにこの糸は切れてしまう。

結ぶことも軽やかならば、切れることもまた同じ。

そうなんだな。そうかもしれないな。

私が、明日、急にもうnoteを更新しないで、アプリを消して、スマホをいじらなければ、パソコンに向き合わなければなかったことになってしまう。

だからこそ。

だからこそ。

バクゼンさんが少しお休みするといったことを信じて待つしかないんだなと思いました。

寂しくても心配でも、それは私の問題です。


書いて、書いて、書くしかなくて。書くことでしか待つことはできませんでした。


久しぶりにバクゼンさんからスキが届き始め、待ちきれない私はバクゼンさんのnoteにコメントをしに行きました。


おかえりなさいを言いに行きました。まだ、少し早かったようでした。


ピストルでスタートをためらう小学生の私の方がまだ思慮深い。


大人になった私は、ピストルを聞く前に飛び出していました。


一度おかえりなさいのフライングをしているので、今は落ち着いています。

バクゼンさんが帰ってくることがもうしっかりわかりました。

バクゼンさん、おかえりなさい。

私は赤いリボンがまだ欲しかったみたい。

バクゼンさんに一番におかえりが言いたかったよ。

足より、言葉に筋力がついたみたいです。






お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。