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サク山チョコ次郎の理由
スーパーで198円で山積みだったからに他ならない。
いつもより安かったので思わず買ってしまった。
サク山チョコ次郎を見たら思い出す人がいる。
うみちゃんは、昨年それまでしていた毎日投稿が途切れた。
私は毎日投稿に対して、早めに見限りをつけた種類の人間だ。
自分にはできなかったし、これからそれを目指そうとは思わない。
毎日投稿が眩しくて、羨ましくて、ただすごいと思うが
私に関しては、そこに価値を見出さないと決めた。
私は、書きたいという自分の感情のうねりを最優先することにした。
書かなければならないから逃げたとも言える。
書くことには、人それぞれの意義や意味がある。
うみちゃんの投稿が途絶えた時、継続していたものが途切れた無念や喪失を感じた。
ただ、私にとってうみちゃんの文章や存在は毎日そこにいてくれるという安心感よりも、もっと別にあった。
積み重ねているものが、それが本当に繊細で重ねれば重ねるほど脆く緊張の高まるものだとしたら、また最初からは、とてつもない勇気を必要とする。
それでも、うみちゃんには、うみちゃんにしか書けないものを書いて欲しいし、うみちゃんのnoteを続けて欲しい。
人は変わっていいし、約束や信念もアップデートすればいい。
積み重ねたものは裏切らないし、消えてなくなったりはしない。私はそう思う。
「サク山チョコ次郎があるけど、どういうこと?」
私の鏡台の脇にあるサク山チョコ次郎について
夫に聞かれた。
人はやましさがあると、その言葉を掘り下げて自分で脚色するきらいがある。
「痩せたいのにサク山チョコ次郎を買うってどういう了見だ?」と聞き取った。
「いやいや職場のおやつに…、あっ!一個あげるよ!!」
開封して水色の可愛いチョコ次郎が小躍りしている袋を渡した。
その日、事務所の出勤は4名。
朝からいそいそと、チョコ次郎を名刺のように配る。
「えー!どしたの、くれるの?わあ!」
みんなが喜ぶ。
「今朝、旦那からサク山チョコ次郎について質問されて、なんか、痩せたいのにおやつ買ってどういうつもり?って言われた気がして、共犯になってください。」と説明した。
先輩の1人が
「あのさ、痩せたい。とか、金が欲しいな。とかはさ、自由に言わせてもらいたいね。」
「本気?とか、じゃあどうする?とか突き詰めないで欲しいね。ため息みたいに聞き流してほしいね」
と言って大笑い。確かに。
痩せたいな。きれいになりたいな。お金が欲しい。
ただ言うぐらいはいいですよね。無害。
なんとなく言っちゃうんだよね。運動すれば体が痛いし、簡単に痩せるレギンスや靴の中敷をスマホに勧められるとなびくし、それでもすぐに買うわけじゃないしね。
私たちは似たようなあるあるにゲラゲラ笑いながら、そうそうそれそれ!と言いながら、ハンドクリームを塗り塗り、パソコンを立ち上げ、
それぞれに就業準備をする。
人は変わってもいいのに、なかなか変われない。
約束や信念もグラグラで、なかなか更新できない。
うみちゃん、サク山チョコ次郎は一袋に4つしか入ってないから、0キロカロリーだよね。
うみちゃん、痩せたいね。
また、そろそろ、サボってた運動しようかね(笑)
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。