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友達に贈るあちょー。


友達が手術をする。


私は、生まれてこの方手術をしたことがなく、
その怖さや不安を想像することしかできない。


経験がないとは、致し方ないとうしろめたいのあいのこだ。


どうしようもないのだが、ごめんねと思う。


ごめんねじゃないよ。と優しく言われるだろうな。


ごめんねではないことはわかるんだけど、他のちょうどよい言葉が見つからなくて、逆に気を遣わせてしまうだろう。


どこまでもごめんね。である。


無事に終わりますようにと願う。


どうか身体に負担が少なく、痛みや苦痛がなるべく軽くありますように。


そんな都合よく簡単ではないことは、うっすらと気づいているが


それでも、そう思う。思うしかできないから祈る。


こんな願いでさえ煩わしく、耳障りかもしれない。


先日、別の友達が自分が追い込まれている時期にかけられた言葉や励ましに反発を抱いていたことを教えてくれた。


当時、めっちゃ必死に声をかけていた。


何をそんなにおまえが。というぐらい、どうにかしないと。に溢れていた自分を思い出す。


萎れた花には、水。ぐらいの勢いで、うなだれているようにみえるその人に、言葉をかけていた。


水をかけすぎたら根を腐らせるように


適量を超えた思いが心を腐らせるのは当然だったと思う。


ただ、時間が経ってその人が


あの時かけられた言葉は本当だった。と書いていた。


ああ、そうか。そういうものか。


寄せた気持ちや心からの励ましやエールは、その時に重たすぎたり、空回りすることもあるかもしれない。


わからなくて、知らなくて不愉快に思わせることもあるだろう。


それでも、いつか、その人の土壌に染み渡ることがある。


あるんだなあ。と思った。


友達が手術をする。


私は手術の経験がない。


どうか無事に終わりますように。


痛みも苦痛も不快もあるだろう。


辛く切なく涙も溢れるだろう。


それでも、今までの不調をあちょー!と吹き飛ばし、軽快な身体を手に入れますように。


ハイキックの高さ、更新しちゃうぐらいのね。


楽しみに待っているね。


#note
#友達へ




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