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“変わりたい”の中身

「なんで人は変わりたいと思うのか?
 わたしは変わろうとは思わない」
ということばをみて、ドキッとした。

なんでわたしは変わりたいと思っているのだろう。

と同時に、
このことばを書いた方はじぶんの真ん中をもっていて、
きっとそこからブレることのない方
なんだろうなぁとも思った。
(これはまぁ、あくまでわたしの感覚で、この言葉を発した方とは一旦切り離して、この先につづくわたしの気づきなので感じたままを出させてもらう)

じぶんからブレない。
わたしの変わりたいと思う理由は、
ここにあるんじゃないかと思った。

わたしはなんだか、いつもブレブレしてしまう。

社会や家族や友人からかけられる言葉が
わたしを揺るがし、わたしは揺らいでしまう。
だって、みんなわたしのためを思って言ってくれていたりするから。(全部がそうでもないし、本当の本当はわからないけど)

しかし夫は、
外的要因を受けてブレブレになっているわたしを見て、
言葉尻はちがうけれども、
前と言っていたことがちがう、どれが本心なのかと、
やんわりと問いただされる場面がある。
そこでまた、ハッとなる。

とにかく流されやすい。
気分や情やなんかいろいろ。
そうしてじぶんの真ん中をわからなくしている。

この辺りを分解していくと、
変わりたいというよりかは、
じぶんの真ん中を強く持ちたい、とか
じぶんを信頼したいが
今のわたしの本望なのかもなぁと。

強いといっても、
コンクリートのようなカチンコチンの固い強さではなく、風が吹き、嵐になり、飛ばされそうになっても
大地にしっかり根を張り、風を受けながらもそこにいる、大樹のようなずっしり感をじぶんの中においておきたい。


わたしは、”変わりたい”
という言葉しか知らなかったのかもしれない。
じぶんが言葉の内側に
どんな想いや感情をこめているのか
分解するのって大事だなって思った。

外から見たら、
全部同じ大福見えてても
割って中を見たら、
つぶあんだったり、いちごが入ってたり、
抹茶餡だったりね。
みんな中身はちがうんだろな。

わたしは、いちご大福が好き。

言葉って、人間って、本当おもしろい。