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noteをはじめてみる

前からちょいちょい話を聞きつつも、好きな人の文章や気になることを閲覧していくだけで、利点をうまく把握できなかったnote。けれど誰かに説明しなくちゃいけない場面も出てきそうだなぁ。と思った。

そうなったときに、自分でしてみるのが早いかな、となる。

もともと外界と体の連携がうまくいかず、ペーパーを読むだけだと理解ができない性質なので。

行政文書とかとても辛い。脳を第3の位置にポジショニングし目を見開き意識をオフにしないとインストールできない。説明書を読まずに作る、家にあるものを分解して組み立てることで構造を把握する、というのは日常茶飯事だった親御にとっては困った子ども時代を健やかに経由してきた。

ということで、まずは右に表示された“noteのヒント“ はじめかたを開いたところ、もっとも大事なことに、書くことは筋トレのようなもの、と書いてあった。

ほうほう。私もいつもそう思うし、割とよく口にしてきたので親和性が高い、と突如リラックスする。書かないでいるとすぐ衰えるのわかる。

トップアスリートを目指すのじゃないにしろ、4階くらいまでは自力で階段上り下りしたいし、たまに山も登りたいなくらいのことです。

個人的には集合無意識(意味よくわかってない)が心的エネルギーとなんちゃらして、アカシックレコード(意味よくわかってない)とかな感じでそのうち、EDEN(遠藤浩輝による日本のSF漫画作品)やハーモニー(伊藤計劃の長編SF小説)のように個の意識は同化し境目をなくしテレパシーなど使わずとも世界に満ちた空気の流れだけで全てが共有され進んでいくだろういつの日か、それが未来!とは信じているような気はしますが、まだしばらくは日常生活における言語での直接やりとりは必要とされる、はず。

SNSは使っているね、というものの、Twitterは一方向の、つぶやき以下のメモマシンとかし、Instagramは対人を感じつつも同様にほぼメモマシンとして機能し、FBはInstagramの連携で成り立っており、唯一日常的に双方向と言えるようなLineは私の仕様では瞬発力の単語しか表出しないし、最近それすらスタンプで省エネしつつある身としては。かつ、書こうとすると助長さがマシまくって意味が取れなくなる傾向しかないという身としては。

「今、鍛錬を始めない理由などないではないか!」

(と飽き性で諦めやな自分の脳内で猫仙人様が棒を振り上げる。…あの棒ってホグワーツ魔法学校の杖の巨大版みたいなものなの?霊力や魔術の発現に関係あるの?大きさって大事なの?あのグルグルは持ちやすさの為?)

ちょうど良い、こんくらい、という分量を見極めていけるようになりたいものです。

そんで何を書くかというと、大きさで言えば転職のことなのかもしれない。実は2020年3月31日に6年ほど勤めた会社を退職した。といっても初めてのことではない。大学卒業してからの、離職回数4回って多いのか少ないのか。

中学の時、公民の先生が転石苔むさずとかローリングストーンの話を出していた。日本の価値観とアメリカの価値観は違う、終身雇用が美徳とされ苔に美を見出す日本と比べ、アメリカでは苔は忌むべきものとし引く手数多ヘッドハントされる魅力人材に例えたという話でよく使用されるが、日本人が苔を美しいと思うことに関しては、苔が美しく育つような生育環境自体に利点があり、アニメ風の谷のナウシカの話を引き合いにではないが、毒となりオドロオドロしい外観をとるも、美しさを感じさせる優美な姿となるも水・空気・栄養素等の成分すなわち環境である…と言っていたのはあれ、生物の先生だったかな。(というように、記憶の方法に難があるのか、人の名前を覚えられないし、いろんなことをすぐ忘れてしまう。僕たちはなんだか全て忘れてしまうねby岡崎京子 に大きく頷く。)

そう退職?転職?の話ですね。

大学で履修していた分野で国家資格を取り、結構頑張り学びも続け、研修行きすぎて廃人になりかけたり、ちょっとだけ人前で話させていただいたりもしながら

(ていうか地方から自費で東京研修とか行きまくるとまじで一瞬でいろんなものが消えるよね。移動費も宿泊費も時間も。今回のwithでめっちゃ良かったのはオンライン環境が整うことだろう。地方組が常に引き受けざるを得なかった負担やチャンスの少なさは…というのはまた別の話。)

職場は何度か変われど職種と目的の方向性と叶えたいことは変わらずに過ごした10年強の中で、もっと見たい必要な要素を持つ場へと移動し続けた過程なので自分としてはあんまり大きなジャンプではなかったものの。

今回は業種が変化したことで、周りの人には何度か驚かれたり質問されたりした。

でもcovid19時期緊急事態宣言周りとドンピシャに被ったせいで、バタバタなのとただでさえとっ散らかった脳内がバーンなことになり、お世話になった方やへの挨拶もままならないどころか、理事の引き継ぎも、何もかも(パーンと花火みたいにって言ってみたかったけどそんな華やかな感じではなく)シュッとエアダスターに吸い込まれたみたいに消えてしまった。


シュッ。


とか考えていたら、大好きで尊敬している憧れの人から、「私たちもそろそろ何か書き始めない?」とメッセージが届く。

目を見開く。二重の意味で!

というのも、彼女Mさまは
芸術に造詣が深くかつ、
美しいものを取り扱うのに適した鋭く尖りつつ柔らかく自由の間を優雅に行き来しているようにみえ
書店をされており
生み出す人であり
お酒を一緒に飲みたくてたまらない、
もっと知りたい
美しいたたずまいのお人なのです。だよ。そしていい香りする。

な!

ぜ!

この海のものとも山のものともな私に。
でも嬉しい。うれしいからそれ以外のことはどうでもよくなっちゃう。だって時間と県境を超えて、その瞬間突如同じ思いでいたってすごくない?すごいです。そしてそのときに私を思い出してくださったことが嬉しい。

というわけで、まずは形にしてみよう。まずは書く訓練のための文章をば、続けられる分。そう思ったりした。

だからはじめてみます。飽きるまで。
笑覧あれ。(ていう言葉を水曜日のカンパネラのコムアイが発する音がとても美しく、メロスを何度も聴いてしまうよ。)


タイトル画像は、ジョン・H・ハーヴェイの『悲しみに言葉を』。内的な事象を外在化させることの重要性について様々な角度から書かれた本。専門書らしいけれどとても私的。

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