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Take back the チンコ

チンコの話である。
ひとさまのチンコではなく、私のチンコの話である。
チ○コとか伏字にしないし、tinkoとかオシャレ?なぼやかしもしない。チンコを連呼する記事でございます。

考えてみれば不思議だ。チンコはチンコと呼べばいいのに、なんだかぼやかしたくなる。男性器とか、ナニとか、呼びかたのバリエーションが多い。
コロナの時に「コロナ」と日本の人が言わないようにするのも面白かったけど、力のあるものの名前を呼ばない、というハリーポッターの世界観とも通じる。力があるからそのものの名前を呼ばないのか、「力がある」と人々が信じる心がそのものに力を与えるのか。車の両輪のような気がする。

なぜ、男ども(あえて「男ども」と呼びたい)はあんなにチンコにこだわるのか、チンコの何がそんなに自尊心にとって大事なのかずっと謎だった。いったいチンコの何がそんなに大事なのか?

それが先日、とあるご縁で「シヴァリンガム」(訳して「シヴァ神のチンコ」)という名前の石をゲットしたことから、チンコと自尊心の関係がわかった気がした。

石を読めるという人がこの世にはいるのだが、「お前にはこの石だ」と、じみーな茶色いその石と引き合わせてもらった。「シヴァはシヴァ神、リンガムは男性器、シヴァ神の男性器って名前の石だよ」と教えてもらう。
(えー…………????)と、大いに戸惑いつつ、どう扱ったらいいのかもよくわからないその石を、とりあえず手に取ってみる。居心地が悪い。なんだか直視もあまりしたくない。
……なんだけれども、一度置いてはまた手にとり、置いては手に取り、なんだかよく分からないワクワクを感じていた。

しばらく一緒にいた人たちとおしゃべりとかをして、さあ石は買ったし、帰ろうか、という時に、別の人が、「お前のあだ名は今日からシバチンコでいいのでは」「シバチンコ!」と小学生のようなノリで言ってくる。
わたし、ほとんどあだ名がついたことがないんですけど。せいぜい一つか二つ。誰かあだ名つけてくれないかなー、とひそかに考えるような子供だった。それなのにまさか貴重なあだ名にチンコが入る日が来るとは!!
でも何の遠慮もない「シバチンコ」呼びが妙に嬉しい。ホクホクに嬉しい。小学生男子に小学生男子扱いされて嬉しい気持ちに近い。

どういうこと?!と、色々腑に落ちないまま、でも何かが嬉しくて、その夜は眠りについた。

翌朝!
シバチンコが誇らしく机の上に置いてあるのをみるととても嬉しくなる。嬉しくて嬉しくて、この石は私の体のどの部分と1番嬉しさが共鳴するのかと思って、頭頂部に当ててみたり、喉のところに当ててみたり、ヨガでいうチャクラのところを上から順に当ててみる。みぞおちも別にちがう。お腹もピンとこない。これは、第一チャクラでは?と思い、チンコが本来あるチンコたる位置に石を置いてみる。

すると!!!!

わーーーーーー!!!!
チンコだーーーーー!!!!
まさに、チンコだーーーーー!!!!!
私のチンコだーーーーーーーー!!!!!!

身体中の電流が、チンコも含めてぐるっと回って、やっと、やっと、やっと、身体の中を過不足なく十分に電流が流れるようになった!!!!!という歓喜。
私のチンコをやっと取り戻したーーーー!!!という歓喜。

石の重みもちょうど良い。
私にチンコがあったらこんな感じなのかーーーー!!!
結構立派である。
悪い気はしない。
チンコのサイズやら形やら何やらにこだわる男性諸君の気持ちが今ならわかる気がする。
チンコがここにぶらさがっていることが、自尊心と、パワーや自信の源になるのが分かる気がする。

子供の頃、弟にあるチンコが私にないのが不思議だった。なぜ弟にあるものが私にはないのか?

もうすっかり忘れてたそんなことを思い出す。なんだかとてもフラットな気持ちで、「あれ?なぜ弟にあるものが私にないのか?」という感覚だった。

あのチンコという面白そうなおもちゃを持っている弟が羨ましい。弟にあるのなら私にもチンコあってもいいのに、ないぞ?と不思議に思って親に聞くと「女の子だからだよ」という説明をされる。ふーん、と思うが、「あるはずのものがないのが女ということなのか」と、どうやら子供の私は理解したようだった。いまになって分かる。(世の女性は「チンコが私にもあっていいのに」という感覚を子供のころ持つのだろうか?どうなの?教えて)

うちは、「伝統的」な価値観の家で、弟は「お前は長男だから○代目を継ぐのだ」といつもおじいちゃんに言われていた。チンコがついているというだけの理由で弟はもてはやされているように見えた。男の子の日のカブトが本当に羨ましくて、私もカブトがいいのに、「女の子はお雛様」と諭されるのが悔しくて悔しくて仕方なかった。弟よ、理不尽に当たってしまってた気がする。ごめんね。

そんなこんなが色々思い出される中、私は、「やっと!!!!!」「チンコを!!!!!!」「手に入れたーーーー!!!!!!」という歓喜なのだ。

チンコがあることの体感を得たのだ。
これは、チンコがあることと一緒なのだ。
今まで開けることができなかった隠し部屋を、やっとみつけて開けた気分なのだ。

完全体である、という感覚を得た。
生まれながらにチンコを持ってる男性にたいして、ひがみのような怒りのようなものを持っていたとわかった。もう要らない。
心にチンコを取り戻した私は、チンコがあることで湧いてくるエネルギーを遠慮なく使っていいことが分かった。男性のみなさまに遠慮する必要がない。なんなら私のシバチンコはとても立派である。(チンコが大きかろうが小さかろうが、サイズに関するトークに加われるのも嬉しいのだ)

あー、いったんここまで。
私のシバチンコは今は窓際でさんさんとお日様を浴びて、日の目を見てます。

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