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わたし達はいまここに向かう風に吹かれている

わたしは現在、小・中の教員を目指す学生さんを中心に、教育学部で社会学や経済学を教えています。
より住みやすい社会や、自然環境と調和した社会を作っていくということを考えたときに、将来先生になるかもしれない学生さんに教える機会にめぐり合えたのはとても良かったな、と思っています。

一方で、わたし自身は教員免許を持っていませんし、専門は人類生態学で、「教員養成」ということにこれまで全然縁がなかったので、採用された時には大変びっくりしました。「不思議な縁もあるものだな」と思い昨年から働き始めています。

それが昨日ですよ。
母親が「わたしが教育実習に行ったときは・・・」と突然話し始めて、教員免許をとっていた(?)ということを初めて知りました。
全然知らなかったのでびっくりして、母方のルーツについて聞いていったら、母親の祖母は熱心なクリスチャンで女学校の先生だったとか、そういう知らなかった話が聞けました。他にも母方には医者やら牧師やら駅長やら、なんだかフォーマルな世界との関わりが深い人が多かったようです。

一方で父方の方はというと、お見合いマッチングをやってたくさんのカップルを成婚させていた祖母だとか、「お手当」をやっていてあちこちからの来訪者がいたという父の祖母だとか、見えない世界が見えるというバリキャリの保険営業ウーマンの大々叔母?だったり(そして彼女達は実名でなく通称名で生活していた)、どちらかというとインフォーマル/マイナーな世界と関わりが多い女性たちが多く、面白いなーと思っています。

わたしの現在の職種は父親と同業なので、父方の系統からこの仕事をしているのかと思っていましたが、「公的/教える」という点で見ると母方の方が近いことがわかって何か不思議な気持ちがしています。

一方で、わたしの興味関心のようなところは、父方のルーツの影響を多大に受けているのね・・・という妙な納得もしました。(そういえば、博士課程でインタビューしていた作物育種を行うブリーダーさんたちは「見えない世界が見える人たち」だと言われていました)

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親のルーツを知るにつれて、歴史上の時間と現代の時間につながりが見えてきます。
また記事には書いていませんが、それぞれのルーツが経験してきた大きなトラウマや闇、負の引力のようなものも見えてきます。

それらを考えたときに、継承されてきた負の連鎖を断ち切ろうとしている「今ここにいるわたし」/「私たち」というものが、過去の世代の人々にとっての悲願であったのではないかという気がしてきます。

わたし個人がというよりも、父方・母方のルーツが「まさに、『今ここ』を目指してきた」という気がしてきます。
わたしだけでなく、そこのあなたも、街ですれ違う見知らぬ人も、全ての人たちが、それぞれの家系のルーツの総意の中で『今ここ』を目指してそれぞれの経験をしているようにも感じます。

『今ここ』に向かって、全てが計算され尽くした緻密な流れが過去と未来から吹き込んでくるのを感じます。
つむじ風で木の葉がくるくる舞うみたいに、過去と未来からの風を受けて、毎瞬毎瞬『今ここ』が生成されている。
全てが計算され尽くした流れは、同時に、瞬時にいつでもその内容を改変・再編することができる。改変・再編に応じていつでも最適化され直す。

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父方の女性達に倣って、わたしも通称名(別名)をつくってもいいかもなー。
公的なわたしが言いにくいことを、心置きなく話せる別人格の名前・・・!


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