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森発言をめぐるあれこれにモヤモヤしている皆さんと考えるための個人的論点整理

「森発言」について、なんだかなあと思いながらも、流れてくる情報やツイートが目に留まる。しかし「黙っていたら黙認と一緒」「即刻辞めさせろ」「いいや、あれはむしろ女性をほめている!」などと極論が飛び交うと、うっかり口にも出せないというか、どっちにも与したくないんだけど、という方もいますよね。

この記事はそうした「極端な立場のどちらにも参加できない」「なんかモヤモヤする」と感じている方にお読みいただきたい論点整理の一案として書いてみたものです。そして、読み終わったからと言っていずれかの立場を決めなければいけないわけでもありません。賛否歓迎。議論の叩き台と言うか、思考の一助にできればいいし、私も自分の頭の整理のために書いております。

先に言っておくと、私は現時点で「森発言は全く褒められたものではない。自分でもリスクをわかりながら口にしており、表に立つ役職を退くという選択をしてもいいのではないかと思う。が、形式的にでも謝罪しているのものを叩きすぎると当然、反発が出る。結果、発言は立派論まで出てくる。うーんなんかいつもこういう感じで議論が変な方向に行ってるよな……」と思っているという、実に微妙な立場です。そういう立場なので、当然ながら中立公正な立場や議論の判定員を気取るつもりも全くありません。

さて、森発言ですが、全文はこちらなどでお読みいただけます。

確かに「女性がいると会議が長引く」だけを切り取った場合と、この全文を読んだ感じでは印象が変わるかもしれませんが、しかし発言自体は実際に行っていますし、ご自身も「テレビがあるからやりにくい」「悪口を言ったと書かれる」と、自分の発言のリスクは自覚しつつも口から出てしまったというところではないでしょうか。

こういう、「言いにくいことをあえて言う」みたいなのが、クローズドな場面や講演会でウケるというのはあると思うんですね。私も麻生太郎さんが「私はあなた方のような下々の人とは違って豪邸に住んでいまして」みたいなギャグ(?)を飛ばしていた演説の場面に立ち会ったことがありますが、みんな大爆笑でした。文字にしてみるとギョッとしますし、ウケるからいいというものでもありませんが。

また、確かに「国際的に場数を踏んでわきまえている」女性をアゲてはいますが、一部の女性をほめるために別の女性をサゲてしまうのは、少なくとも褒められたことではありません。

当初から気になっていたのは「どういう話の流れで女性と会議の長さが引き合いに出されたのか」「何を問おうとしていたのか」という点ですが、正直、この全文を見てもよくわかりませんでした。そのあとに、「(自分の話が)長くなって恐縮です」と言っているので、「長いのはお前だよ!」という突っ込み待ちか、自らをオチとする前提の前振りだったのかもしれません。40分もしゃべっているそうなので。あるいは、「話が長くなっちまったな…」と思いながらアドリブでしゃべったために、誰かと交わした、あるいは自分の経験から「女性は話が長い」という要素が連想され、口から出てしまったのかも。まあ不用意としか言いようがありません。

この発言を「女性蔑視」ととらえる人は、「森がともすれば女性の発言を制限したり、女性委員の会議への参画を制限できる立場」にいるからこそ、戯言では済ませないのだと考えているのだと思います。

また、こうしたアナウンスをすることで、女性が「長くしゃべると、『やっぱり女性委員はこれだから』とみんなに思われるのではないか」と心理的圧迫を受けかねないということもあるでしょう。実際そうした経験をしたことのある女性は、古傷に塩を塗られる思いをしているかもしれません。

一方、「発言自体は今日び、擁護できるところはないけれど、あまりに集中砲火なのは気の毒である」「確かに褒められた発言じゃないけれど、じゃあどこまでの制裁を加えたらいいのか」「まあもうこんなに燃えちゃってるし、辞めるしかないのでは…」というくらいの方もいることでしょう。

しかしこの程度の「同情」では、「辞めさせろ!」の人にはあまり対抗できません。そこで、というわけではないですが、「発言自体も問題ない!」「むしろ女性をほめている」と言う人、逆張り的に森を持ち上げて見せる人、あるいは「森は余人をもって代えがたいので、会長職からおろすべきではない」と言う人もいます。結局、「辞めさせろ!」派と「森はすごいんだ」派が目立つことになり、どっちにも参加できない人は目立たないという状況。うーん。

ここで、森さんから「天敵」視されている柔道金メダリストの山口香さんの発言が際立ってきます。

もうこれ以上の回答はないだろうという感じで、「森を叩いたところで、改心することはこの年になったらもう不可能」「しかし女性委員の割合を守ることに森は反対していない(=つまり女性を実際に排除するような権力を行使してはいない)」「表に出る会長職は引いて、しかし『本当に森じゃないとどうしようもない相手』は森に任せればいい」という現実的なお話をされています。


個人的な話をすれば、実際にある場で相手の年上の男性が、私の上司(男性)に「この女(つまり私)を黙らせろ」と言ったことがあります。かなり敵対的な現場で、それを言われて「小さい野郎だな、黙らせたいなら直接言えよ」という感じでしたので(口から出ていたかもしれない)、その意味で私も「わきまえたことがない女」です。

が、これについて「森発言は五輪憲章に反する」と言われると「ウッ?」となるところはあります。

山口香さんのように「五輪開催に向けて頑張っていたのに、この発言で腰を折られ、世論の支持も逃すのは忍びない」という立場の人ならわかりますが、「あれ、どちらかと言えばもともと五輪反対っぽい人なのに…」という人にこれを言われると、ちょっとモヤることをお許しいただきたい。「日本人として恥ずかしい」とかもこれに類するんですが。

「じゃあ、森の首を差し出したら、五輪に協力して、世論的な後押しをしてくれますか」といったら、しない人が多そうな感じがあります(印象論ですが)。「五輪憲章」を掲げてはいるけれど、五輪を東京でやるべきとはそもそも思っていないのではないか。そうなると、首を差し出す方も差し出し損になるというか、もともと双方に信頼関係も何もないので、落としどころもない。

「落としどころ」というと、何か談合政治的な嫌な臭いがしますが、「手打ち」とかそういうものは知恵でもあった部分もありますよね。森の改心は望めない、しかしある部分では誰かが代わりを務めるのは一苦労、だったら表向き役職から下げて、しかし実働はできる裁量を与えるという(山口案)のはそんなに悪くないと思うのですが、批判派は「五輪に一切かかわらないでください!」になってしまっている。その中に「五輪なんて所詮は金権や政治にまみれた云々」と言っていた人もいそうなのが、またモヤるところであります。

モヤモヤの原因は、森批判の盾として五輪憲章を使っているだけという構図になっている、ように見えるからでしょう。「もとより五輪を潰したいから大したことないことで大騒ぎしてるんだろ!」という擁護派のカウンターが生じるのはこうしたモヤを下地にしています。

そしてここでまた要素が追加されますが、「五輪憲章に反するか否か」という話になるのであれば、「じゃあ2022年に予定されている北京冬季五輪はどうなるんですか」という問いが出てくるのもそうおかしい話ではありません。

森の「発言のまずさ」をウイグルを持ち出して封じようとするのはおかしいと私も思います。しかし「五輪開催地の資格アリやナシや」の話になれば、同じまな板に載らないでもない。

「女性がいると会議が長引く」と発言しはしたが、女性を会議から排除していない森会長をいただく日本(東京)。自身の統計でもウイグル人女性の不妊手術件数が増えていることが明らかになっている中国(北京)。「なんでもウイグルを持ち出せばいいと思っているウイグル話法」と揶揄る人もいて、確かに「森批判を封じたいためだけにウイグルを持ち出す」のはいかがなものかと思いますが、「森批判のためだけに五輪憲章を持ち出す」のは、ではどうなのかという問いはあってもいいような。

また、これは「どちらが問題か」という二者択一ではなくて、「どちらも問題(あるいはどちらも問題ではない)」という線もありうる。

各国の大使館(主に女性)が森発言に一斉に批判的姿勢を見せるアピールをしていました。「会議から排除されかねない(実際にはされていない)女性」と「不妊手術を強要される女性」のどちらが不幸かという話になれば当然後者なので、大使館のアピールには、これまたモヤるところではあります(ウイグルに対しても何かしているかもしれないが)。やっぱり、後進国のそういうのは、先進国の女性たちにはわがことと思えないんじゃないんですか、同じ女性でもと嫌味のひとつも言いたくなるところ。

また、ウイグルを持ち出すことを揶揄っている人たちも、香港デモには多少なりと心を動かされたはずなんですよね。その関心の差がどこにあるかは私の知るところではありませんが…。

かといって、「日本と中国の人権状況って同じ物差しでそもそも測っていいのだろうか」というのもあり、私としてはこの状況を説明するには、「人権意識の進んでいる日本では、(実際に女性を排除してはいなくても)女性がいると会議が長くなる、と言っただけでも許されない状況があります。一方、中国では少数民族の女性に不妊手術が強要されていても、中国人民はそれが差別や蔑視と気付かない程度の人権状況ですし、何より政治体制的に声を上げられないんですよ。こちらも褒められたもんじゃない面はあるでしょうが、明らかに人権状況がおかしい中国を何か大国、先進国扱いして称えるのはちょっとマズいんじゃないですか」と言いたいくらいで。

もともと五輪には国威発揚的な側面があるわけで、五輪反対の人たちはそこも批判していたかと。もちろん隣国のことなのでわれ関せずでも別にいいわけですが、「五輪憲章」というものを重んじてこの話を論じるなら、「ウイグル(中国の人権状況)を一切引き合いに出すな」というのも変じゃないのかな、と思います。

「『女性蔑視だから森を降ろそう。五輪憲章に反してるもんな、なんなら開催地返上でもいいわ』といって実行したところで、もっとトンデモない人権弾圧をやっている国がするりと冬季五輪を開催することになる。それはなんだか腑に落ちないんですが」という場合、そこに手当てできる論理って何かありますでしょうか。

「日本は中国より人権意識が進んでいるんです」「だから発言程度でも許さないんです」「中国とは違うんです」ということくらいじゃないかと思いますが、そういう「立派な」ふるまいをしたところで、各国が日本に続くとも思えないんですよね。ほめては見せるかもしれませんが。

で、じゃあどうするのというとこれという結論はないわけですが。

そもそも、森降ろせ派も、ウイグルどうするんだ派も、「女性の人権をないがしろにするな」という点では一緒なのに、なぜ同じ方向を向けないのか。どちらかしか問うてはいけないかのような話になりがちなのか。ここに問題がありそうな気がします。

よく、55年体制には「お互いに悪くない感じの手柄を得られる」構図があった、とか言われることもありますが、昨今の殲滅戦争のようなSNS上の様相を見ていると、難しいのかもしれません。

「森発言よりもっと大事なことがある!」というのもその通りで、私も中国海警局の法改正と尖閣周辺での懸念についてメモ的にまとめておきたい、そっちの方が大事だと強く思いますが、これだけ飛び交っていると、一度脳内から棚卸しておかないとどうもモヤモヤしてしまうので、整理してみました。

「即座に賛否を言わなければならない!」という心理に追い込まれることはないんじゃないの、という思いもこもっています。

そもそも開催がぐらついてきた東京五輪を、森が自己犠牲精神からあえて壊して見せ、「日本の国力やコロナ対応のせいじゃない、俺が悪いんだ」と爆散するための布石だったらどうなるんだろうと思ってしまいますが、根拠のないそうした裏読みは陰謀論の入り口になりかねないので気を付けましょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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