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《美術展》東京でブルターニュ旅行

こんにちは。
Ayaです。
3年にも及ぶコロナ禍もおさまり、今年のゴールデンウィークは旅行される方もいらっしゃるでしょうか。

旅行が一般化されたのは、19世紀の鉄道の発達によるそうです。それまでは富裕層の娯楽でしたが、一般庶民も楽しめるようになりました。
画家たちも新たな画題を求めて、旅に出ることになります。そんな画家たちの作品が鑑賞できる展示が現在都内で2ヶ所開かれています。

国立西洋美術館の憧憬の地ブルターニュ展


SOMPO美術館のブルターニュの光と風展です。

どちらも行くことができたので、その感想をまとめようとおもいます。

ブルターニュ

ブルターニュとは、フランスの北西部にある半島です。ここには古くからアングロ=サクソン人のブリテン征服から逃れてきたケルト民族のブリトン人が多く居住していました。中世にはブルターニュ公国という独立国でしたが、15世紀にフランス王国に併合されました。
併合後も独自の言語ブリトン語やケルト民族の風習が根強く残りました。また風光明媚な景色もあり、ロマン主義の作家たちに愛され、彼らの作品の舞台となりました。これらの作品に魅せられ、多くの画家たちがこの地域に足を運ぶこととなります。
中でも、多くの影響を受けたのが、ポール・ゴーギャンでした。彼は印象派からの脱却を目指しこの地域を訪れたのですが、この地でエミール・ベルナールと出会います。彼との出会いによって、ゴーギャンは綜合主義を確立します。ゴーギャン自身はその後タヒチへ移住してしまいましたが、綜合主義に感銘を受けた地元の画家たちが『ポン=タヴェン派』を結成します。
その一方で、この地域ではクールベの写実主義を受け継いだグループも活躍していました。彼らは『バンド・ノワール』と呼ばれており、主に荒涼とした風景画を描いていました。
今回の2つの展覧会は、日本では注目されることの少ないポン=タヴェン派やバンド・ノワールの作品を見ることができる珍しい展示でした。

憧憬の地ブルターニュ展

まず鑑賞したのが、憧憬の地ブルターニュ展
展示構成は、
Ⅰ.見出されたブルターニュ:異郷への旅
Ⅱ.風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポン=タヴェン派と土地の精神
Ⅲ.土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち
Ⅳ.日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし
となっており、ポン=タヴェン派やバンド・ノワールだけでなく、日本人画家たちの作品も見ることができました。
(1)『ブルターニュのアンヌ女公への礼賛』(セリュジエ)

ブルターニュ公国最後の当主・アンヌ女公に若木を捧げる騎士たち。中世の挿絵のような作品でした。

(2) 『悲嘆、海の犠牲者』(シャルル・コッテ)

バンド・ノワールのひとりシャルル・コンテによる作品。とても大きい作品で、263 x 347もあります。海はブルターニュ地域に豊かな恵みをもたらしてきましたが、海難事故も多かったようです。その犠牲者を悼む人々を描いていますが、キリストのピエタにも見える作品です。

(3)『林檎拾い』(久米桂一郎)

フランスに留学していた日本人画家も、ブルターニュを旅しました。そのなかでも気に入ったのがこの久米の作品です。リンゴを拾う女性たちの声が聞こえてきそうです。

ブルターニュの風と光展

本当は憧憬の地ブルターニュ展と一緒に観に行く予定だったのですが、会期がまだ始まっておらず、別の日に行きました。こちらの展示内容は、
Ⅰ.ブルターニュの風景ー豊饒な海と大地
Ⅱ.ブルターニュに集う画家たちー印象派からナビ派
Ⅲ.新たな眼差しー多様な表現の探究
です。
こちらもポン=タヴェン派やバンド・ノワールの作品が中心ですが、よりアカデミックな作品も展示されていました。
(1)『さらば!』(ギユ)

『悲嘆、海の犠牲者』(シャルル・コッテ)と同じく、海難事故を描いています。リアルな波の表現と亡くなった息子に別れのキスをするシーンで、より悲痛に感じました。
(2)『パンマールの聖母』(レヴィ=デュルメール)

ブルターニュらしい荒涼とした背景と、通常赤・青で描かれる聖母もブルターニュの伝統衣装で描かれています。また額縁もケルトらしい木彫りだったので、ブルターニュの美術の特徴・カトリズムを感じることができました。

というわけで、憧憬の地ブルターニュ展ブルターニュの光と風展の感想でした。
なかなか海外旅行に行くのも大変なので、この2つの展示を見て、都内でブルターニュ旅行はいかがでしょうか笑

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