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《世界史》九日間女王ジェーン・グレイ

こんにちは。
Ayaです。
今日はテューダー朝第2弾、ジェーン・グレイについてまとめてみます。

ヘンリー8世が崩御すると、エドワード6世が即位します。しかし、彼は病弱で、長生きできそうにありませんでした。必然的に次の王位継承が問題となります。
王位継承順位は
1.メアリー
2.エリザベス
3.ジェーン・グレイ
でした。メアリーとエリザベスはヘンリー8世の娘でエドワードにとっては異母姉にあたりますが、ジェーン・グレイとは何者でしょう?

ジェーン・グレイ
ジェーンは1537年、ヘンリー・グレイとその妻フランセスの間に生まれました。問題は母フランセスの出自でした。フランセスはヘンリー8世の妹メアリーの娘で、テューダー朝の血をひいていたのです。
このことに着目したのが、ジョン・ダドリーでした。彼はジェーンと自分の息子ギルフォードを結婚させ、メアリーとエリザベスには庶子のため王位継承権なしとして、ジェーンを即位させようと画策します。最終的目標はジェーンとギルフォードの子を即位させる腹づもりでした。

ジェーン・グレイ

1553年、エドワード6世は危篤に陥ります。ダドリーは熱心なプロセスタントであったエドワード6世に、メアリーはカトリックのため王位継承に相応しくないとして、ジェーンを後継指名するように迫ります。エドワード6世はこれを認め、崩御します。
ダドリーはすぐさまジェーンの即位を宣言します。ジェーンはこのときまで義父の陰謀を知らなかったといわれています。しかし、実行されてしまった上はどうしようもなく、ジェーンは戴冠式の準備のためロンドン塔に移されます。
ダドリーの計画は脆く崩れました。肝心のメアリーを捉えることができず、逃亡させてしまうのです。メアリーはノリッチで即位を宣言します。民衆はメアリーを支持し、ロンドンへ進撃。結局枢密院はメアリーを支持して、ダドリー一族とジェーンは逮捕されます。
エドワード6世の死からわずか9日間の出来事でした。このことから、ジェーンは"9日間女王"と呼ばれることとなります。
さて、メアリーはジェーンの処分に迷っていました。ジェーンが利用されていたのは明らかだったからです。しかし、母の故郷スペインからの要請と、カトリック反対叛乱にジェーンの実父ヘンリーの関与が疑われたことから決意します。
1554年ジェーンは処刑されます。まだ16歳の若さでした。
処刑前メアリーはジェーンにカトリックに改宗すれば助けると伝えますが、ジェーンは拒否しました。先に処刑されていた夫ギルフォードのもとに行きたいと願ったとされています。現在ギルフォードの隣に埋葬されています。

ドラーロシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
作者はフランス人だったが、イギリス題材の作品を多く作成している。本作は代表作。実際の処刑はロンドン塔の中庭で行われた。侍女が嘆き悲しむ中、毅然と処刑台に向かうジェーン。

メアリー1世は民衆の支持を得て即位しましたが、すぐに亀裂がはいります。熱心なカトリック信者だったメアリーはプロテスタントを弾圧したからです。これには夫のスペイン王太子フェリペ(後のフェリペ2世)の意向もありました。あまりの弾圧から、"ブラッディ・メアリー"(血まみれのメアリー)と恐れられることになります。
※余談※これをのちにカクテルにつけるイギリス人の感性すごい()
しかし、それもながく続きません。メアリーとしては自分の子供を産むことで、憎いアン・ブーリンの娘エリザベスの継承権をなくすことを画策しますが、結局子供は産まれませんでした。最期には夫フェリペに見捨てられ(彼としては自分のスペイン王即位のため帰国)寂しく世を去るのでした。
1558年エリザベスは即位しました(エリザベス1世)。弱冠25歳の若き女王の誕生です。

今日は短くまとめられました〜(十分長いけどな)
《怖い絵》展で、『レディ・ジェーン・グレイの処刑』を見たときは感動しました。ジェーンの義父が権力志向じゃなかったら普通に長生きできただろうに‥。義理の家族って大切ですね‥。
というわけで、テューダー朝第2弾は終わりです!次回は宿命の対決!です。


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