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《美術史》ルネサンスのミューズ

こんにちは。
Ayaです。
めちゃくちゃ久しぶりですが、《美術史》マガジンを更新しよう!と思います。
こう思ったきっかけは丸紅ギャラリーで開催中の
『丸紅ギャラリー開館記念展Ⅲボッティチェリ《美しきシモネッタ》』でした。

実は彼女シモネッタ・ヴェスプッチについて取り上げるつもりだったのですが、23歳で若死にしてしまった彼女の生涯については取り上げることが少なく、断念してしまったことを思い出したのです。
ところが、今回の『美しきシモネッタ』展の解説で、彼女がボッティチェリにとってどのように”ミューズ”として影響を与えていたかについて改めて知ることができ、そのことについて取り上げたいと思い、今回書くことにします。

”ミューズ”というのは、もともとギリシア神話に登場する芸術を守護する女神たちです。彼女たちはそれぞれ受け持ちの科目(音楽や絵画など…)をもち、芸術家たちに芸術的ひらめきつまりインスパイアをあたえる存在です。

次第に、画家たちにインスパイアを与えたモデルを指すようになります。このnoteで取り上げたピカソとその愛人たちもその一例です。

今回はルネサンス期のボッティチェリとダンテにインスパイアをあたえたであろう”ミューズ”を紹介しようと思います。

シモネッタ・ヴェスプッチ(1453~1476)

シモネッタは1453年ジェノヴァで生まれ、15歳のときにマルコ・ヴェスプッチ(探検家アメリゴ・ヴェスプッチの親戚)と結婚しました。
生まれ持った美貌で有名で、1475年に行われた騎馬大会ではフィレンツェの有力者ジュリア―ノ・メディチが勝利をささげる相手として選びました。ヴェスプッチ家はメディチ家と親しかったので、実際に彼女とジュリア―ノが関係を持っていたと考えられたようです。
しかし、美人薄命のなのごとく、シモネッタは翌1476年に肺結核のため亡くなってしまいます。享年23歳。
ボッティチェリにとって、メディチ家は大事なパトロンであり、シモネッタの夫とも親しい関係だったので、生前のシモネッタにもあったことがあったでしょう。彼の描いた代表作『プリマヴェーラ』や『ヴィーナスの誕生』に描かれている女性のモデルは彼女であるという噂が立つこととなります。

『プリマヴェーラ』
あらゆる研究者によって描かれている女性すべてにシモネッタを結び付けられており、特定できていない。


『ヴィーナスの誕生』


『マルスとヴィーナス』
マルスはシモネッタの愛人ジュリアーノがモデルといわれている。武装解除されまどろむマルスは愛(ヴィーナス)が戦いを終わらせるという寓意をあらわしている。


単独の女性の肖像としては3点存在しています。

『女性の肖像』(ベルリン絵画館蔵、1480年代)
『若い女性の肖像』(シュテーデル美術館蔵、1480年代)

そして今回の丸紅ギャラリー所蔵作品。

どれも美しいですよね〜。
丸紅ギャラリーのは、昔の写真と首飾りのパールの描かれ方が違うと、贋作疑惑が出たそうです。実際は昔の写真で映らなかったのだということを証明し、贋作疑惑を払拭したのだとか。その経緯についてもパネルで詳しく知ることができました。

ちなみに、他の画家によるシモネッタ像もあります。

ピエロ・デ・メディチ『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』

こちらの作者ピエロ・デ・メディチはシモネッタが亡くなったころまだ10代で実際に彼女と会ったとは考えられないので、『理想的な美人=シモネッタ』というイメージがすでに成立していたということでしょう。

もうひとり、理想的な美人とされた女性がいます。彼女こそダンテに惚れられたベアトリーチェです。


ベアトリーチェ・ポルティナーリ

1274年の祭りでダンテは同い年の彼女に出逢います。ダンテ、この時9歳。彼は魂を奪われたと記しています。
それから9年経って、ふたりは再会します。道端で言葉を交わしただけでしたが、ダンテは恋焦がれて別の女性に愛のソネットを送りました。次第にダンテの狂恋は噂になり、ベアトリーチェは挨拶すら拒むようになりました。ダンテは失望し、許嫁と結婚しました。
ベアトリーチェは街の銀行家と結婚、なんにんか子どもを残したあと、1290年に24歳で亡くなりました。彼女の死を知ったダンテは狂乱状態に陥りました。
その後政争に巻き込まれてフィレンツェを追放されたダンテはベアトリーチェと案内人として、『神曲』を書き上げました。
それ以来、永遠の淑女としてベアトリーチェは知られることとなります。
このエピソードに心酔したのが、ダンデ・ガブリエル・ロセッティです。ダンテ研究者だった父にちなんだダンテという名を与えられた彼は、若死にした妻・リジーをベアトリーチェに重ねたのでした。

『ベアタ・ベアトリーチェ』

これ以外にも、ロセッティはベアトリーチェを題材にした作品を残しています。
やはり彼もベアトリーチェからインスパイアを受けていたのでしょう。

『ダンティス・アモール』
左上のイエスと対になるようにベアトリーチェが描かれている。
『ダンテの夢』
実際に彼女の死にたちあっていなかったダンテが夢で彼女の死にたちあったという設定で描かれている。

さて、今回はふたりの女性を取り上げました。
ふたりの共通点は3つです。美人であったこと、若くして亡くなったこと、そして芸術家に崇拝されたこと―。
特に3点目が重要です。もし彼女たちがボッティチェリやダンテに見いだされなければ、彼女たちの美の名声はすぐ忘れ去られていたでしょう。ボッティチェリとダンテによって、彼女たちは”永遠のミューズ”となったのです。

久しぶりに《美術史》マガジンを更新しました。いままでの『〇〇主義』や『○○派』といった書き方をしていましたが、今回はモデルという新たな切り口で書いてみました。結構な文字数になりました笑。
最近真面目な記事ばかりなので、次回は《無駄話》で遊ぶ予定ですww。

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