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今夜は餃子にしよう


餃子とビール。これほど完璧なマリアージュがこの世に存在するであろうか。
大きな餃子がいい。一口餃子などはふぐ刺しのように一度に三・四個運ばなければならない。
口をガバッと開けてハフハフしながら箸を運ぶ。タップリ詰まった餡が口いっぱいに広がる。熱く刺激を受けた口腔に黄金の発砲液体が心地よい。ゴマ油の香ばしさにもう一個、さらに一個と言葉を忘れる。


二十代の頃、語学留学をしている友人を訪ねて中国の大連に行ったことがある。大連といえば、日本人にとってはおなじみの「餃子が有名な街」だ。友人がお世話になっている「中国のお父さんお母さん」を訪ねた。夕飯に一緒に餃子を作ろうというのである。今まで食べることが専門だった私は、いきなり本場大連で餃子作りを教えてもらえることに心躍らせた。
中国ではどの家庭も皮から作るという。粉をこねて大きなお団子を作り、それを小さいお団子に分け綿棒で伸ばし皮の出来上がり。目にも止まらぬスピードだ。そしてその皮に餡を包むのだが、日本餃子の典型とも言えるひだが無い包み方であった。皮の中央に置いた餡を半分に折り、バレーボールのレシーブする時のような形を両手で作り、その中で皮を閉じる。何度挑戦しても全くうまくできない。アーイー(中国語でおばちゃんの意)にはあまりの不器用さに「もう作らなくていいよ」と笑顔で断られた。

中国で餃子といえば「水餃子」である。「焼き餃子」にするのは、前の日に余った水餃子をリメイクして食べるときくらいだとか。ではなぜ日本は「焼き餃子」が主流なのだろう。調べてみると、油の香ばしさが米食に適しており、ご飯が進むおかずということで流行したそうだ。またニンニクやラー油という、中国では餃子に使わないアイテムもご飯が進むことに一役買っている。まさに「焼き餃子」とは、日本の「ソウルフード」なのである。ちなみに中国では餃子はおかずではなく主食に分類される。麺類の一種だ。だから一緒にご飯は食べない。

時を経て母となり、苦手な料理も逃げていられなくなった。作るならば、大好きなものを作りたい。大連で拒否されて以来作ることを放棄していた餃子に挑戦することにした。皮から作るのはハードルが高いので市販のものを買った。ビッグサイズだ。餡をタップリ入れるのでなかなかうまくひだをつけられず、その度にプニッとはみ出した。それでもタップリ餡の餃子を頬張りたい。試行錯誤の末、なかなかの出来栄えになった。

いざ、焼かん。餃子は焼き方が命である。見よう見まねで焼いていたが、どうも納得できないなあと悩む矢先、「餃子パーティー」に呼ばれた。みんなで餃子を作って食べましょうという、餃子愛好家には最高のイベントである。そこで私は師匠に出会った。その方は学生時代中華料理屋さんでアルバイトをしていて、一日に千個以上餃子を包んでいたそうだ。師匠の餃子には愛が包まれていた。焼き加減、焦げ目の絶妙なバランス。師匠から教わった最高の焼き方をこの場でこっそりお伝えしよう。

ごま油とオリーブオイルを半々、冷たいフライパンに垂らす。そこに包んだ餃子を並べていく。回るく並べ終わったら、火を入れる前に餃子半分が隠れるほどの水を入れる。そして蓋をして着火。強火でガンガン焼く。ガス台で焼く場合はガスの通りにムラがあるので、1分おきにフライパンを揺すりながら回転させ、360度まんべんなく焼けるよう配慮する。
音に意識を向けよう。しばらくすると、フライパンの中の音が変化してくる。プツプツという音がしてきたら焼けてきたサインだ。蓋を開け1分ほど中〜強火で様子を見て火を止める。焦げてないかな、と思ったらフライ返しで焼き加減をチェックする。
火を止めたら1分ほどじっと待つ。こうして落ち着かせることにより、フライパンの中の餃子が均一に焼きあがる。1分たったらここからが腕の見せ所だ。フライパンより少し小さめの丸皿を用意し、餃子の上に優しく載せる。そしてフライパンを持ち、流しに移動しながら反対の手で皿を押さえ、えいやっと勢いよくフライパンをひっくり返す。フライパンに残った余分な油を流しに捨てる。この時油が流れやすいように押さえた皿に角度をつけるとよい。くれぐれもヤケドに注意。
まん丸の満月餃子の完成だ。

先日、高校時代から好きだった中華料理屋に行った。餃子がとてつもなく大きいのだ。食べてしばらくして思った。ん。何かが違う。昔ほどの感動が訪れない。
「ママの餃子と違うね」隣からボソリと聞こえた。そう、私が作る餃子と違う。ああ、そうか。好きだった外食の味より自分の作るものの味の方が良いと初めて感じた瞬間だった。どちらが好みかは聞かなかったが、いつも食べる者もその違いに気づいたことに心動いた。

そろそろ夕飯の支度に取り掛からねば。
そうだ。今夜は餃子にしよう。

終わり





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