『自分』が生まれる時、イヤイヤ期

ふと感じたことを、メモがわりに。

『自分』が生まれる時、
自我の芽生え、とも言い換えられるかもしれないけど。

ほんまにそうなんかな?
と親や周りの人の意見に異を唱える瞬間、なのかな
って感じた今日この頃。

たぶん、一番最初に自分が自分になる瞬間は
イヤイヤ期なのかな、とも。

私は20代後半に結構大きく、自分が自分になった気がする。
今までのモノの見方や考え方に
xxせなあかん が溢れてて
それを十数年来の友人に指摘されて
ハッとした瞬間。
べきべき人間だったんだ
と言う気づきからの、
キャリコン資格取得の勉強をする中で
あ、借り物の自己概念
ってなった瞬間に、腑に落ちた。

きたる、イヤイヤ期、反抗期、すでに怖いけど
その時々に、
どんな自我が芽生えるのか
どんな人間になろうとしてるのか、なりたいのか
それを冷静に見つめられる親でありたいな
見守るだけじゃなく、時に壁打ちできる親でありたいな
私ではない誰かに壁打ちする時のヒントをそっと与えられる親でありたいな
と思ったり。

答えを押し付けることなく
解法のヒントをそっと与えてくれる、教師のような、
ヒントですら、ひとつの解法に縛られない
そんなイメージ

頭の中に思い浮かんだことをツラツラと書いてしまった。

要するに、素直さも大事やけど、
疑問を持つことって、生きる根幹なんやないかな?というようなことを考えたハロウィンの深夜。

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