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川に落ちた話(昭和6年)

姉が小学校の一年生だったから、私は四歳半、即ち数え年の五歳の時である。
我が家は、門の外に小川が流れていた。田植えの時の用水路でもあった。土橋がかけてあった。
或る夏の日、姉は石の階段を降りて、靴下の洗濯をしていた。私は竹林から棒を拾って来て、土橋の上から川底に長い棒を突き立てて体重を掛け、ぐるぐる回していた。初めは小さく回していたが、そのうち大きく回してみたくなり、だんだんと大きく回転させたところ、あっという間に前のめりにドボンと落ちてしまった。それ程深い川ではなかった。五歳の私のおへそぐらいだったと思う。私は泳げないので水が怖かった。びっくりして、どうして良いのかわからない。川底に腹這いになってしまった。両手で何かに掴まろうとしてもがいたが、泥ばかりで捕まるところがない。溺れて沈んだりしていた。姉が「ホーラ、早く起きなよ」と言っている。「起きなよ」と言われてもどうやって起きられるのか分からない。水中で、もがいて、もがいて、もがいて、やっと岸の草に掴まって、顔を上げることができた。とても息苦しかった。草に掴まれなかったら、溺死していたかもしれない。
なぜ姉は助けてくれなかったのか不思議だった。助かったと思ったら涙が出てきた。ずぶ濡れで泣いていた。姉が母に告げに行った。何と告げたのか知らないが、母は怒りながらやってきて、「そんな乱暴する子には、スイカはあげない」と言った。スイカを食べていたらしい。私はスイカなんていらないと思った。溺れた恐怖心で胸がいっぱいだった。やっと助かったのだ。
母は私の手を引いて家に入り、着替えさせてくれた。母は、二度と川に落ちないよう、ここでしっかりお仕置きをしておきたかったのだろうか、怒った顔をしていた。私は「助かってよかったね」と姉にも母にも言ってもらいたかった。できることなら抱きしめてもらいたかった。母の対応は間違っていると思った。スイカはとうとうもらえなかった。お仕置きをしなくても、私は充分怖い思いをしたのである。

こんな経験が、教師になってから役立ったように思う。転んで怪我した子や、跳び箱で失敗し、前のめりになった子に対し、「痛かったでしょ」と言って、肩を抱いてやった思い出がある。「K先生はやさしい先生だ」と言ってくれた時、かつての思い出が役に立ったと思った。

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