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焼け跡の小銭(昭和3年)

我が家は昭和三年秋、大火災を起こし、財産の殆どを失った。
残ったのは隠居所と、風上にあった土蔵と、四挿門(よざしもん)だけであった。秋だったので、田んぼに水がなく、消防団の人が来てくれても何の役にも立たなかった。
隠居所は、近所の人が駆けつけて下さって、竹林から青竹を切って来て囲ってくれたので、助かったのである。又多少大事な物を運び出してくれたそうだ。

鎮火してからも後片付けを手伝ってくれたのだが、その時なぜか子ども達まで連れてきて、焼け跡を片付けるというより、何かを拾ってはポケットの中に入れたり、袋の中に入れたりしているのが、隠居所の方から見えたのである。
「あっ、そうだ」と祖母が気づいた。それは、茶ダンスの引き出しに小銭を入れておいたのが、けっこう溜まっていたのである。又祖母は古銭集めをしていたので、江戸時代の天宝銭、寛永通宝、文久永宝、明治時代の古銭などがあったことを思い出し、急いで拾いに行こうとした。
その時、父が言ったのだ。「そういうのは手伝ってくれた近所の人への御礼だから、拾わせてあげなよ」と。祖母は足を止めた。残念だけれど仕方がない。近所の人達に御礼などできる現状ではなかったからだ。
父は無口で、普段はあまり物を言わない人だったが、この時ばかりは、けだし名言を吐いたのである。祖母は、近所の人が帰ってから、まだ少しは落ちているかと思い、焼け跡を丹念に探したら、少しばかり落ちていた。
それを拾い集めたものが、今私の手元に残っている。

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