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冬の親子リトリート2024

アトリア主催の冬の親子リトリート@長野に行ってきた。
せっかくだから二泊三日で行きたくて(餅つきをしたくて)
金曜日子どもの下校とともに年休を取り、
速攻で保育園に息子を迎えに行き、
玄関でスタンバイしていた荷物を持って、
「この時間に乗る」と決めていた電車に乗った。

途中、乗り換えようと思っていた電車が遅延していたけれど、
結果的に時間に余裕をもって新幹線に乗れた。
そう、全ては間に合うようになっている。

さて、まとまりがないけれど、気づいたこと書こうと思う↓


画面越しでは何度もあった人たち。
デジタルで繋がりを感じられる今だからこそ、
直接会う意味や価値をとても感じる。
声、雰囲気は画面からでも感じ取れるけれど、
直接対峙すると、より「その人」を感じる。
少しの仕草、表情、まとっている空気感というか、
「人」を感じた。

息子は、びっくりするくらい自分に夢中だった。
動画撮影にハマっており、
ピアノの弾き語りをしながら自撮りしたり、
ひとり歌を歌いながら撮影したり、
とにかく自分のしたいことをしていた。
周りで遊ぶ子を横目に自分のやりたいことをする。
親としてはね、
「少しはみんなと遊んでよ」なんて思うけど、
我が子なりに楽しみ方を微笑ましく感じることができた。
愛する5歳児は、
空気を読むこともあるけど、やりたいことにまっしぐら😜

甘えとわがまま。
甘えられる安心安全な場所で居たいと思っていながら、
できることはやってほしいと、わがままを許したくない自分がいる。
雪山を歩くとき、私に抱っこをせがむ息子。
言葉で励ましたり、手を引いたり、お菓子パワーのあげたり・・・
あの手この手で歩かせようとする。
「これはもう、担ぐしかないか」そんなとき、
息子と手を繋いでくれたり、
さりげなく声をかけて一緒に歩いてくれた人がいた。
息子はすっと私を見ずに歩いていく。
「ありがとうございます🙏」
そう思いながら、より強く浮かんだ言葉は「ごめんなさい🙇」だった。
私がなんとかできなくてごめんなさい。
手を煩わせてごめんなさい。
自分自身のことならば、だいぶ人に頼ったりお任せしたりするのに、
息子のことになると頼ること、任せることに罪悪感がある。
なんだろうね、この感覚。
と同時に、
いつか私の手を離れていく、私に甘える必要がなくなるその時を
内心すごく寂しく思う自分もいる。私の方が息子に甘えているね。

「母は強し」なんていうけれど、私は弱いなあと思う。
それに比べ、息子は強い。私よりずっとまっすぐ自分を生きている。

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