29火

今の暮らし方が、この先の元気に大きく関わってくる。
と、去年から真剣に思うときが多くなった。

若い頃は聞いたことはあっても、考えたことはなかった。
寝たら治る、食べたら治る、だけでは元気と健康を保てなくなったような、保つには全身にも精神にも筋力が必要になってきたのを感じるような、動きの少ない日が続くと、筋肉が見事に落ちやすくなったような。
食べるもの、飲むもの、寝ること、体を動かすこと、見るもの、考えること、何かと受ける影響を体が敏感に判別していて、選ぶ色も変わった。

自分でも感じていない心と体の無理を、「ムリ!嫌い!」と荒れて表現してくれていた肌には悩んだり負担をかけたりしたけど、今は肌質が調子を教えてくれる感覚だからその悩みもなくなって、それ以外は言うほど健康面に悩みはなかったから、生きているとその都度大事にすることも気にかかることも変わっていくものだなぁと思う。

この約1年は、そんな心身の変化ひとつひとつをじっと見つめる時間だった。不安と楽観も一緒に。
本当は「やるぞ!」ということを一気に実行する気持ちだったのだけど、気持ちも意思も家に帰ったら体の休みたい要求に負けて、一気に動く前にまずは自分の状態を省みさせられていた感じがする。

これぜったいいそがしなるやつやん。という未来への直感も一緒に。
何かが新しく始まる前は何かもわからないのに、もどかしいくらい休んでしまったり状況を整理することになったりする。

そんなパターンの中ではじめてかもしれないのは、元気が出たらできなかったことを一気にするつもりがなくなって、ゆっくり自分の毎日を作っていきたい気持ちがすること。
それと、書くのはいつも私のことだけど、近い歳の頃の女性たちと話していると感じていることが似ている。

余計なことに振り回されて時間を無駄にしたくない気持ちになることが増えて、体を積極的に動かすことが心地よくなって、自分の大事な人たちとなるべく過ごしたくなって、要らないなら要らないと言えるようになって、気遣いが先にくる人たちも自分を中心に生き始めて、そういう年代になったかなぁという、みんながみんなそうではないけどと一応付け足しておくとして、そんな気持ちがする。

会社を休むこともなく、誰かと会えば笑って話すから、帰ってひとりでいるとき思ったより回復に時間使う最近、と言わなきゃわからないことを共有してみると、わかる本当にそれと返ってくる。

わざわざ言わないだけで、それぞれにがんばってる部分を抱えて、笑顔でいたいのは自分のためでもあるし、そのとき一緒にそこにいる人のためでもあるんだよねと、素敵な人たちをみて思う。


読んでくださってありがとうございます。日常の中や旅の楽しみとして写真を撮り、日々の思いを書き、ギターを弾き歌います。いただいたサポートでは記事に書いたポストカードなど作りますね。今日も素敵な1日を。