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顔に力が入りすぎる娘

1年前に気がついて、脳波を調べた方が良いのか??1歳になった頃。

主治医に聞いてみました。

その前に看護師さんにも聞いてみると、同じような答えで、そうでもないか放置した事実です。

それは、顔に力が入りすぎること。

歯を食いしばったとき、顔から肩にかけて力が入って、小刻みに震えているような状態です。

どんな時に起こるかなと注意してみていると、ご飯を食べるとき、母親の私を見るときが多いことに気が付きました。これって、私に対しての注意勧告か?と思えます。

まだ話せない子が、態度でしめしているのです。

きっと気に入らないことがあるのでしょうね。ここ最近はなくなってきました。それは表現する術が他にできたからでしょう。

こんなご飯たべられるか!というときは、茶碗やホークを投げる。

いやな時は手で近づいた私の顔を押し戻す、その場から逃げる、大声で泣く、など手段が分かったのでしょう。

娘の成長は、人間の進化を見せてもらえる貴重な時間。人として成長するにはこうして、表現力を身に着け、次は言葉を覚え、次は相手により表現を使い分けていくのでしょう。

亡き母から私に教えてもらえなかった育児のノウハウは、自己流で解釈していくことになりますが、母が私の幼いころと似ていると娘を見て言ったことを思うと、自分が見守られて許されて成長してきたことを感謝して、娘にも同じように接していきたいです。

そういえば、母は私は手のかからない子だったと言っていました。確かに娘も手のかからない子のように思います。手のかからない子と言われた自分を思い出すと、母が辛そうだとか忙しそうだとかを見て、何か協力しなくてはと思ったものです。

娘も、我慢や忍耐をすでにしているのかと思えるのは、1歳頃の顔に力が入るということにつながったのかと、2歳のいやいや期と言われるのは、表現力がついてきたから、いやいやができるようになったのだと思うと、茶碗を投げられても、怒りにならないですね。

人間こその情緒が表現できる動物です。ただ、怒りイライラをつい表現してしまう自分がどうしてもいやな事だと。最近、漢方相談の時に、お客様からこんな言葉をいただきました。

「けんか別れだけはしたくない」

「いやな感情のままにしてはだめだ」

そうですね、確かに傷つける言葉、怒りを誘う言葉を残したままの人間関係は、相当に尾を引きます。亡き母にそんな言葉を浴びせてしまったことを、亡くなる前に謝りました。母はそんな風に思っていないと言ってくれました。でもそれは親子だからでしょう。親はすべてを許してくれるからでしょう。

親子関係のようには、他人はいきません。

やはり、一期一会。目の前の人に自分の思いを好きなように表現しては、相手に対しての心をもって、いつも接していかなくてはと、肝に銘じて、noteしています。




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