私はその人を信じる自分を一番信じられない。

瑆です。

私はADHDという特性上、「人の言葉を文字通り受け取ってしまう」という性質がある。それを自覚しているからこその問題。
人に何かを言われても、ほとんどの場合文字通りに受け取らない。これは本当、これは社交辞令と、経験則から判断していく。
ただ、時々その判断に自信が持てない時がある。本当、と思ったことでも、そう信じたことでも、本当にそうか?とずっと考えてる。

問題は、それが対人に適用されてしまうこと。
この人を信じたい、信じられない要素がない。でも、それを恐れている。
仮に裏切られたとして。私はその人よりも、その人を信じた自分を嫌いになってしまう。
それが怖くて、結局は自分の判断すら信じられなくなっている。

その人を信じてる。信じられないのは、信じている自分。

人間の本性は行動に現れると思う。言葉よりも行動に。
やるって言ってもやらなかったら、それがその人間の本性なんだろうし、逆に何も言わなくてもきちんとやることやってたら、真面目なんだろうと思える。

言葉がなかったらいいとたまに思う。惑わされることがなくなる。行動だけで、みることができる。バイアスがかからなくなる。
でも、行動だけでは伝わらないものを伝えるために、言葉が存在するとも思う。

一度裏切られると、しばらくは誰も信じられなくなる。心が凍ったみたいになる。でもそれは、自分のことを大切に思ってくれる人と出会えたら、少しずつ溶けていくものだと思う。
うまくいかない時とか、悲しい時に隣にいてくれる人。いつでも聞くよって言ってくれて、本当に聞いてくれて、何も言わないでいてくれる人。その人が自分のために時間を割いてくれてるってわかる。時間取らせてるって言ったら、瑆の方が大事でしょって言ってくれた。
どうでもいい人にだったら、そんなことしない。

頭で考えすぎなのかもしれない。もっと自分の直感を信じるべき?


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