私はどんな”大人”になりたい?

瑆です。この前成人式を迎えることができました(それについてもまた記事を書きたい)。

これをきっかけに、どんな大人になりたいかっていうのを考えてみる。

ちょっと前、部活の先輩(とても年上)と話してて、好きな服着られるのは今だけだからね、って言われた。
「年行ったら、今好きな服は着られなくなってしまうかもしれませんけど、その時の自分に似合う私らしい服を見つけて、かっこよく着こなすって楽しみは絶対なくなりません」って答えた。
着る物はその人の一番外側で、一番その人を表す。私は何着せても似合うって言われるし(お世辞か本気かは知らん)、着たい服のジャンルが多いから、いろいろ着てる。それは迷ってる私を表してる?それとも、いろいろなところに興味が向いている私?

かっこいい大人になりたい。

ロッキンホース・バレリーナが似合う人でいたい。壊れちゃったら、壊れなくても、メゾン・マルジェラのタビブーツをお迎えして、ずっとかっこよく履きこなしたい。胸はって背筋伸ばして、振り返られる人になりたい。かっこいいって思ってほしい。

似たような人いるな、にはなりたくない。
それは、よくある生き方をしてきたような気がするから。

服はその人の人となりや価値観、人生そのものをあらわすものだと思う。服だけじゃなくて、それら全てをひっくるめたその人自身が“ファッション”で、“私はこう生きてきました”っていうのを表す。

結婚はしなくてもいいと思ってる。仮にするなら、私の好きな物ごと受け入れてくれる人。好きを追求する私を見て笑顔になってくれて、応援してくれる人。

私がインナーは色入れても、表面の髪の毛は染めないのは、それが理由かもしれない。黒は一番かっこいい色。クールで、絶対に何にも染まらない。どんな色でも映えさせることができる色。

一重でもアイプチしたりしないのもそう。切長できれいって友達に言ってもらって、それは私の好きなところになった。黒髪に一番合う瞳の形。もちろんメイクはするけど、私は私のままで勝負したい。かっこよくなりたい。

何もしないままではつまらない。だから好きな服をしてメイクをして、私が好きな私になる。

服とメイクは哲学だから。それを人に言われたからって引っ込めるのは、哲学でもなんでもないでしょ?

将来は看護師になると思う。けど、他にも興味がある分野はある。発達障害とか子育て支援に興味があって、将来は小児科の看護師か、養護教諭か、保健師になりたい。
適切な支援があれば、障害とかで苦手なことがあっても社会で暮らしていけると思うし、その支援は早ければ早いほどいい。

趣味でも仕事でも、自分がやりたいことをして、悔いなく人生を終わりたい。
大人になってからも学ぶことはできるし、社会人として働いてから院に行ったりするのもありだと思う。

そして、自分にも他人にも、かっこいい生き方だったって胸を張れるようにしたい。

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