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オンラインの良さとして、大勢のそこにいない人に発信できるのはもちろんですが、

わたしは今、複数人が一人のために集まることができることに可能性を感じている。

手waza市も、実はだれかの施術中、「耳ダンボ」でクライアントの訴えや、お互いのアドヴァイスを聴いている3人というのがいて、「はい、終わり、休憩」となったときに、どどどっとその人を含めて雑談をしに寄っていく賑わいがある。

先日「おんらいん手waza市きゃらばん」の売り出しのために、手waza師3人お試しつなぎをしてみたけれど、御用聞きをご用命いただくと、画面にご用命者のお顔も出て、我々3名の視線を独占(!)していただく、という企画です。

その賑わいと東洋医学的お節介こそ、手waza市が「市」であるゆえんで、わたしが1人で十音のセッションルームでやっているセッションとは違う味わいとなる。

http:// https://ayakoxyamazaki.wixsite.com/reflexology-tone/tewazacaravan

 

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今、方丈社の4月中でいったん終わった「デカメロン2020」を読んでいて、ちょっと明るい兆しの見えてきたイタリアの若者の、学校のとても素敵なオンライン授業(8歳の弟の受けている授業)について書いている段があった。


「総勢20人の子供たちをリモート授業で教えるのは大変なので、先生はクラスを5人ずつのグループに分けて、それぞれ毎日1時間ずつリモート授業をすることにした。授業では、前日に出されていた宿題について、ひとりずつ質問をしていく。よくわかっていない生徒がいると、先生は根気よく説明を繰り返す。」

https://hojosha.co.jp/free/decameron2020_24#JulieGPisu423

画面1つに収まる程度の人数にじっくり教えるっていうのは、
子どもの表情がよく観察できるし、ンラインでないとできないことかもしれません。
 
ずっと、音楽の先生と社会の先生、とか、国語の先生と算数の先生が一緒に教えてくれる授業というのに憧れています。
 
いまはそういう可能性どんどん掘り起こしたらいいのかも。
  
たくさんの人が、一人のために頭を使おうと集まるなんて、
とても素敵ではないですか。

手waza市と一気に結びついて、思うのは、児童5人に対して、国語、算数、理科、社会、体育、音楽、図工の先生が、いっぺんに1コマの授業を持つなんて、どうかしら。

一人がたくさんに教える、という図式もいいんですけれど、たくさんの受けての中のひとりでいることに、わたしはうまく参加できない。(人の顔から眼をそらし考えて話を聞くのが好きなので、自分が言うことばかり考えてやる気なし、とみなされることもあるでしょう)

でもね、受け手より教え手のほうが多いぐらいの豊かさを。オンラインなら「リベラル・アーツ」やれちゃうのでは。

おんらいん手waza市きゃらばんも、「3人よってたかって、あなたおひとりを、」というところがミソです。 

同じデカメロン2020の中に、ヴェネツィア人の船乗りたちの、船上で励ましあう伝統的な言葉というのが出ていました。ヴェネトの方言かな。

航海の難所を切り抜ける時に励ます言葉というのは、こういう時に響きます。共に困難にある人からの頑張ろうは、いい。

Duri i banchi, fioi!   気合いれて、がんばろう、前進あるのみ! 


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