信州Day200 積もるのは

例えばわたしはX(もとツイッター)への投稿をやめてしまい、したがってアプリも消してしまいタイムラインを見ることが殆どない。
支援金募金のためのセッションの告知をしたのでとても久しぶりにそこでつながりのある方たちの投稿を見たのですが、Xを積極的に使っている友人の近況や考えていることを知りにくくなっている。
愚痴というか、息抜きや怒りのはけ口であったとしても、今、その人がそういう気分なんだなということが分かる投稿は大した情報量だ。

会っていない場合、少なくともその間のつぶやき分の情報量は「積もる話」になっているわけで、それを聞いたり、聞き出したり、わたしも話したりするような実際に面会する時間の密度は濃いはずなのだ。

なのに、SNSに載せれば全世界に言ったような気になってしまい、会う人に自分のことを説明しないし、人に質問しない。また、SNSだけで人を知ったような気になり、人に会いにいかなくなりすぎている。

また、面会できていたとしても、その人の背中の情報にまで気持ちを集中させることができない。その人が言うことや、これから言おうとしていることなんかに気を取られていて、ずいぶん先回りしようとしている。
恐らくそれは雰囲気となり、わたしの相槌の質となり、対面している相手には見えていると思う。

その人が、言わなかったことや、敢えて言わなかったことを、推し量って学んだりするような深い対話ができるようになるのはいつの日か。
まずは、一番近くにいる人からトライしよう。


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