信州Day140

 気温が下がった。一雨ごとに冬トーンらしい、今日は雨だ。雨の日に家にこもるのは幸せ。独身時代は昼から雨を眺めて呑んでた。

秋を適切に過ごすと、冬には自分の奥底からこんこんと温水が湧くような安心感を得ることができる。それはドラッグストアで登録販売者研修に入る前、5時起きの荷出しパートをやっていた頃の通勤時に知った。
そのままコロナ期に突入するとは予想もしていなかったけれど、ヒトが消毒液やマスクやトイレットペーパーを持たないことの不安に駆られホカノヒトを押しのけていた頃、私は、体内から湧き出す自分の温かな気を「持てる」ことに独りとても満足していた。

秋に金的な結晶のエネルギーに逆らわず職人的に集中すると、立冬を過ぎてそれが柔らかな鉱泉を生み流れ出す。自分が熱を生めると知ると安心する。新型コロナウイルス感染症は肺を病む金の病であったが、この時期に気を散らさず集中すれば生きる力(腎)が充実すると思っていた。実際、カウンターの中からサバンナの哺乳類たる消費者と対峙すると、金の時期を活かしている知恵者とそうでない人というのは哀しいほどふりわけられてしまっており、ここで一旦決まるのか、と思ったものだった。

あの時他人の物を奪うことで命をつないだとしても、この腎の時期にその人は冷え切って、また大金を払って高くなった燃料を買わなくてはいけない、苦しいスパイラルを歩き始めてしまっていると思う。

変な下向き螺旋から早々に離脱するのがいい。逃げるために、貢がなくて良いように、経済的なシステムからちょっとズレたところを行く術を模索する。
戦争しないとシステムが回らないから戦争を起こすのであって。
ほんとに、加担したくない。放っておいてくだすっていいですからと言いたい。

今、

面白く手抜け出せ無い「Neo貧乏暮らし」の沼時給知足な暮らし方あるいはグローバルな資本主義経済を卒業し、浅層のない平和な社会を取り戻す方法

という本を読みながら過ごしているんですが、
笹原に石窯と燻製器を作ろうと思う。

一位の枝、私が独り製薪していると、
「それどうするの?ここらで薪ストーブやってる人にあげれば?」なんて声をかけていく人がいるんですけれど、なんでよ、自分で燃やすわな。
女が一人で家をほぐしているとだんだん魔女扱いになるかもしれない。私の背後にある家があんまり凄まじいので、今は8割憐れみ、2割私のバイタリティへの羨ましさ。ひらき方には気をつけなければいけない。9割嫉妬になってしまわないように。

夜は酒を飲むので今まで主食をとらなかったのだけれど、昨夜両親家でかるみれんげさんのカレーライスを頂いて帰ったら酒が欲しくなく、少しのウィスキーをお湯割りにしたら足先までぽかぽかした。肝臓を休めるには主食もうまく使ったらいいかもしれない。



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