推敲なし。

ドラッグストアのアルバイトから帰ってくると、すぐ昼食にして、そのあとすぐにセッションルームにあるPC前に座るようになったのですけれど、今日の「ウチの足の物語」はなにも進まなかった。焦ってしまう。アンケートは順調に回答を頂いている。こんな企画をしたのは、正解を出そうとしたわけではなくて、自分や家族の足に触ってあげてほしいというただそれだけが目的で、それはすっかり果たされているのがわかった。そして少数だが、オーダーメイドの物語によって自らをより理解し、つまり解されたという方もいた。

でもなぜ、その小さな動きたちをコンテンツ化するのがこんなに乗らないのだろうと、うーんと唸っている。このブログ内では答えは出ないと思います(笑)。

わたしは足の写真収集とそれをあとで他のセラピューティック・リフレクソロジストとの学びに利用させていただきたかった。今のところまだその「勉強会」というかマニアック・トークをしたいという方は1名しかみつかっておらず、それはリアルに会うためのツールとしてやりたいことなので、集いにくい今、企画にいたっていない。占星術や音楽ライブみたいに情報量と感動があることだから熟せばぜったい面白くできるはず。何度も開催したいし、リフレクソロジーが専門でない方とも話したい。でも、こけると本当に解り難い企画になってしまう。それが怖い。

わたしはボディアセスメントの再トレーニングをしたかった。ケーススタディをしていたころから4年がたち、自己流になっているところもあった。もう一度テキストをつぶさに読んで、色体表と五行論、身体の見方、解剖生理学を勉強し直しするよい機会だった。時間はとらないと、できない。

わたしは五行理論をおさらいし、それをオーダーメイドの物語に仕立てる即興力を磨きたかった。

以上のことを平常時は約90分のセッションの間に同時に走らせていたから、一度セッションを解体して、ゆっくりとひとアートごと、ポリッシュしたかったのだ。

だから、「ほぐしをほぐす セラピストのコリほぐし」なのだ。

 

さて、アーカイブ化するには、いただいた不調と物語を一緒にして、それを出していくことになるけれど、この場合、他人の物語に興味をもつ人っているんだろうか。ようは、これだけの物語を作ったんだよ!褒めて!と列挙はできるけれど(もうすでに、タイトルを列挙して褒めて!って言っているようだけれど)。わたしにとってはすべてが思い入れ深い、ものすごい情報量の詰まったいち物語。足写真提供者とだけ腑に落ちるたとえもあるはず。そして筋が通っているわけではなくオチもない。それがただだらだらと書いてあったら、ロールシャッハテストっていうか、わたしに対する精神鑑定みたいになっちゃうかもしれない。本当に自由に書いたので。

1つの写真をもらうと、ぽっと浮かぶ直感はある。それを語らせるキャラクターを思いつくのが大変。写真の前を1,2時間も行ったり来たりしながら、書物を引いたり、外を眺めてみたりし、身体を動かしてみたりもし、キャラクターがかたちを持って出て来てくれるのを待つ。友人の言ってくれた「エコシステム」の中で、そのキャラクターが直感通りに動き、奇想天外な物語になる。アンケートでは、まあ、面白かった、と取ってくれる方が多くてよかった。ドンピシャだと喜んでくれる方もいたし、もしかしたら腹を立てた方もいる。やってみて思ったのは、わたしにも誰か物語くれないかな、ということ。「粘着質だよね」と言われるより、「山﨑さんて、江の島でよく見るイソギンチャクっぽいよね」とか言ってくれるほうが、わたしは傷つかずに自分の修正方法を考えられると思うねん。

 

わたしは、いま、わたしに問うてくれる人を必要としていると思う。
問うって、刺激を入れてくれる人。いい問いでこれらの蓄積にかたちをあたえ、上のキャラクターのように五行というエコシステムの中を走らせてほしい。自分で問い、自分でかたちを与えようとしているから少し堂々めぐりしている。わたしの経絡の端っこをとらえ、するすると網目をほどき、もう一回編み直してくれる人はいないものか。

世の中が賭けマージャンてやつで盛り上がっているので、わたしも麻雀をやってみたくなりました。そういえば映画「ジョイ・ラック・クラブ」とか「ラスト、コーション」観たときから興味はあったのだ。中国語にも惹かれるし、集えるようになったら音楽ライブよりセッションより、実は麻雀教えてもらいたい。考えてみたら麻雀だって卓を囲むものだけれど、インターネットゲームにはいち早くなっていたよね。人が集わなくてもできるように。でも集って麻雀やりたい。わたし、夫、あと二人。麻雀教えてくれる人と酒を酌み交わしながら中国語叫びたい。よろしくお願いします。

それにしても、あれだけ騒いだのに最後は賭けマージャンで辞表出されるってもうなんというか。わたしは、定年はどんどん下げて、若い人の奮闘を見る世の中になるとよいと思っています。60代は楽しい中年時代を送ってきたわけだから、退職金もちゃんともらって、あとは退職後の彼岸へ行き若い人たちを援護するべく、「よき時代」というものに転身するべきです。働きたくないんだけどね、とか言いながらいつまでも時々会社に来ないで、潔くお仕舞し始末し、譲ればかっこいいのに。と思います。引き継ぐ美学ってあるでしょう。大人になって卒業式もなくなって、そういう潔さもなくしたか。なさけない。

 

そういえばドラッグストアも荷出しする品物の量が減っていて、みんな買い飽きたのかしらと思う。先週おわりくらいから、6時すぎに歩いていると交差点を50人ぐらいが渡っていくようになった。行列です。東京はまだ緊急事態という実感がもうわかない。また感染者数のぶり返しはくるだろうけれど、それはもう発症した方は運が悪かったということなんではないかしらとさえ思う。みんなとっくに感染しているのではというぐらい、アカの他人と密な中で毎日仕事をしているため、日本の文化はほんと経済に負けていて、仕方のない国だという気分になる。


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