信州Day172 今ここと先のことと

他国の政治家の汚職のニュースとかを喜劇のように見ていたところがあるんですけれど(国柄ねーとか軽口をたたいて)、もう笑えないし、なんだか、審判のレベルが低い…

長野に来て新聞もとらずテレビも持たず私はツイッターもやめてしまい、ネットのニュースまとめも見ていません。世界の「今」に興味がなくなってしまった。

自分たちがどう食べて飲んでいこうかということでアタマをいっぱいにして忙しくしております。
半径1メートルの暮らしに律をもち、家と働く場が安心できるようにと細部に気を張り、正しく税金を納める(還付もしてもらう)ために月末は会計ソフトとにらめっこ。
怒りは減っています。40代前半までは、自分の働きが認められていない、と経済システムにすごく怒っていましたが、47になった今、自分で変えられるところがあることや、自分が持たされているものをちゃんと完全燃焼させることや、なんやかやいって体力と健康がほとんどだということを知った。

お金のいらない暮らしに近づけるために畑をやりたいし、貨幣を得るためには自分の手技が必要とされたらいいなと思う。「十音がここにいます」と手をあげる術として今、SNSに頼っているのだけれど、小さなスマフォの字を入力ミスしている時間は惜しいなあと思います!起きている時間の3分の1ぐらい、入力ミスを直しているような気がします!いやだわ。
だから、人に会ったり、まあ電話したりで、お商売が成り立つといいなあ。
わたしの文章はわたしの表現ではあっても分身ではないので。

あと、「予定が立つ」とか「を立てる」ということについて新月を前に考えることがあります。

寒冷地において、予報や予測や、計画は必須。
空気から読む力のない今は天気予報から眼がはなせない。
翌朝が凍る時にはウィンドワイパーを窓ガラスから外しておいたほうが、とか、明日は雪だから笹原作業できないから、今日行っておいて明日は在宅仕事だ、とか。灯油がきれそうだから買っておかないと、明日は雪だし、とか。
備えないと翌朝活動できないかのような緊張感があって、毎日先を見ている。また、商売においては、予約が入っていない=貨幣収入がない なので、どうしても先のお招き文章ばかり書くことになる。
いつも先を見るばかりに、今ここが、スカスカになっていることもある。
家事は今ここの細かい作業なので、それとのバランスがうまくとれないこともあります。

でも、本当は、ある場で家のことや他の作業をしながら、そこへ思い立ったクライアントが駆け込むのを受け入れるぐらいのスタンスが、施術家の在り方としては丁度よいという気がしています。

家を直したり繕いながら、そこで施術をすることができるようになるといいですね。

展示室に出張していた時に、ダイシマさんから中国の話をたくさんおききしました。まず、スケジュール帳は持たないと言われた。あとがどうなるか分からないので、詳しい約束はせず、前日に確認電話をする、とのこと。

電話は、目がいろいろ泳げるし、いいね。
画面を見ている時間(特にスマフォ)は、減らしたいものです。あと入力ミスの修正も減らしたい!

今夜は埋め草富士見での施術。
午後6時以降は、二胡を練習しながら、人の「思い立ち」を待とうと思います。大丈夫。

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