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いてもいい場所

わたしが暮らすまちにはマーケットがある。
生鮮食品を売るスーパーマーケットというわけではなく、おまつりだ。
暮らすひと、働くひと、遊びにくるひと。
まちに関わるひとが顔を合わせるためのおまつりだと思っている。

5月に出店したばかりだと思ったが、7月のマーケットももう1ヶ月を切っていることに気づいた。
なに作ろうかなあ、とまだ決めかねているので少し焦る。
コーヒースタンドとレンタルスペースの運営と外部依頼の仕事が重なって、頭の余白が最近少ない。

マーケットの相談をしようと思って、近所の友だちが営むコミュニティスペース兼喫茶店に遊びに行った。



ここで過ごす時間や、コーヒースタンドに遊びにくる友だちとの会話が最近の余白だ。

レンタル利用があるとき2階の自宅にいるのもなんとなく居辛さを感じて、ここに来ては長居してしまう。
そんな話をしていたら、そもそも2階で自分の仕事して1階はお店が入るように作ったんでしょうと友だちが笑いながら言った。
そういえばそうなんだけど。
でも、居場所をつくるひとにもまた居場所は必要だ。ね、わかるでしょう?
自分が作った場所以外に、居てもいい場所があるのは嬉しい。
そう、レンタル利用があるときに居づらいからというのはただの言い訳だ。
(しかし今日は4時間もいてしまった。さすがに依存的だと思ったので帰った)


マーケットのはなし。

去年の秋はものづくりで出店したが、今年の5月は焼き菓子とおばんざい。
どちらもわたしにとっては楽しい実験だった。
ものづくりも好きだが、やはり食の畑だということを実感した。
基本的にひとりだが、イベントのときはチームを組めるのもいい。
ひとりだと打ち上げがないのは寂しい。

彫金体験


おばんざいのほかにコーヒーとスコーン


7月はひとも物も腐るので出店は見送っていたが、ストリートの活性化チームに組まれているのもあり翻して夕方から夜の時間で出店することにした。
売りたいものがあるから、ではなくて、いることに意味があるということに、少し戸惑う。
それがメニューを決めかねる要因だ。


ふと。

わたしはふだんコーヒースタンドでコーヒーとスコーンを売っている。
もちろん味に自信はあるが、なにより大事なのはコミュニケーションのツールであること。
たとえ席につかなくても、コーヒーを淹れて手渡し送り出す時間はそのひとと1対1のコミュニケーションがとれる。
ゆっくりしていきたいひと、隣り合うだれかと会話を楽しみたいひとは1杯のコーヒーが
そのチケットになる。




きっとそういうことでいいんだな、と思った。

5月のマーケット、それに限らず、イベントのときは友だちに手伝いをお願いする。
ひとりだったらひとりで出来る範囲で内容を組むこともできる。でもそうしない。
お願いする理由は人手が足りないというより、いっしょに楽しみたいからだ。



マーケットは訪れるひとも出店者にも顔馴染みばかり。
トイレに行くたびにだれかと話すし、トイレの帰りには必ず、両手にお店で買った焼き菓子やコーヒー、アクセサリー、おつまみ、お酒。
手ぶらで自分の店へ戻ることはない。
なのでトイレに行ったきり30分以上戻ってこないなんてことを2.3回はしたと思う。

わたしがいない間に店番をしていた友だちに遅くなってごめんねと謝ると、「役割があったほうがぼくの性分に合っているから苦ではない、この長いマーケットはそのほうが楽しめる」的なことを彼は言ってくれた、と思う。(都合がよいように解釈しているだけかもしれない)

そんなことを思い出しながら


「居場所をつくるひとにもまた居場所は必要だ」
「1杯のコーヒーがその場所にいてもいいチケット」
「役割があるほうが楽しめる」


ヒントであり、答えを見つけた。
おばんざいは売るけれど、それはチケットであり、コミュニケーションのツール。
なんかそれはいいな。と思った。
仕組みを考えよう、企もう。
雨の日の楽しみ方を考えてもいいな。


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