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September

9月になった。すこし気分がいい。
わたしの一部なので悪いものすべてをとは言えないけれど、もういいかと思えるものは8月に置いてきた。

日付が変わっただけ
といえばそうなのだけど、流れ続ける摂理を理由にするとむりやりにでも気分転換できてこれはよいかもしれない。


8月はずいぶんと弱音を吐いた。
それでもただ寄り添ってくれる彼らには感謝でしかない。


ふと、5月の自分のnoteを見返した。

恥ずかしさ、とか、寂しい、とか。
隠したいものを、全部は表に出さないけれど、ほんのひと握りだけだれかに預けてみることにした。
自分はひとからこう見られているだろう、見られていたい、応えなければいけない、という気持ちを窮屈に感じ始めたから。
おそらく、この窮屈さは放っておけばどんどん肥大する。
そうなる前に。

隠したいものを、少しだけだれかに預けてみたら。
自分が思うと自分と、ひとが思う自分との間に余白が生まれた気がした。

余白があれば、摩擦も摩耗も減るだろう。
すぐになにかが変わるわけではないけれど、きっと、未来の自分を、あるいはだれかを、掬い上げる余白になる、と思った。


過去のわたしは未来のわたしのために弱音を吐く練習をしてくれていた。やるじゃないの。

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