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眠ろうね

先日、2日連続寝坊して、運営するコーヒースタンドの開店が遅れてしまった。

普段は9時の開店後30分は客足がないなんてことはざらにあるが、その日に限って開店を待つお客さんが5人もいた。
素直に寝坊しましたと謝って、茶の間でしばらく待ってもらった。
焦ったし反省もした。

寝坊する原因はわかりきったことで夜更かしだ。
ついスマホをいじってしまったり、このnoteを書くことに夢中になってしまっている。

睡眠が足りないのはよくない。
てきめんに判断力がにぶる。

ある夜、友だちがひと駅となりの店(これもまた別の友だちがマネージャーをしている)でイベントをしていた。
その日は夜にかけて風速8mの嵐が予想されていた。
自転車では行けないので電車に乗った。

間違いなく、わたしはそのとき友だちに会いに行きたいと思った。
悪天候でひと入りも少ないだろうから、行って一言でも二言でも喋って帰ろうと思った。自分だったら雨の日に訪ねてくれる友だちの存在は心配にもなるが、それより嬉しいから。

乗った電車は出発が遅れていて、ホームにしばらく止まっていた。
出発のアナウンスがあり、ドアが閉まる前。
気づいたらわたしは電車を降りていた。
帰りながら、あれ?と思った。
行きたくないわけではない。
ドアが閉まる前に、瞬間的に
「古民家、大丈夫かな、強風でどこか壊れないかな」や「今夜もお酒を飲むのかあ、続いちゃってるなあ」と頭によぎった。他にもあった気がする。
友だちにだって間違いなく会いたいのに。


その数日後、まちのマーケットの会議があった。会議はたくさんの感情や思惑が交差し合い、すこし疲れた。
そのあとに立ち飲み屋に行こうという流れになった。
わたしは翌日の店の準備が終わっていないし買い出しもしないといけないから行かないと、伝えた。

自転車での帰路。
やっぱり参加したほうがよかったかも。
荒れた会議に自分の心もざわつくし、そもそも打ち上げしたいねって言ったのも自分だし、と。気持ちが変わってしまった。

結局買い出しと仕込みを急ピッチで済ませ、身を翻してみなが集まる立ち飲み屋に向かった。

友だちのイベントも、この日も。
ポジティブな言い方をすれば、直前で翻る自分の気持ちを無視しないともいえるが、自分に振り回されてるようで疲れた。

そう、疲れていたんだな。
あ、わたし眠いんだ。判断力が鈍っていたんだ、と気づいた。

眠いときは寝るに限る。
早く寝るのがいちばんだが、夜の予定も多いので、昼に仮眠の時間を作るようにしている。

先日、少し長めのコーヒースタンドの営業のあと、夜はここで宴会をすることになっていた。
料理は友だちが作るので、準備は任せた。


少し寝るね、と伝えて、2階の自室で仮眠をとった。
起きて寝癖を直して1階に降りると顔馴染みの友だちが増えていた。
おはようと言い、覚醒しない頭でぼんやり過ごす。
目が醒める頃に宴会が始まり、手と手が交わるいつもの賑やかな風景になった。
この日もよく話し、よく食べた。
お酒は飲みつつも、頭は冴えていた。
話したいことも、話すべきことも話した。



人生において、いま、たまたま暮らしが重なり合い同じ時間を過ごしているだけで、それぞれの道を行く。
でも、せっかく同じ時間を過ごしたなら残るものがあって欲しい。
一期一会という言葉に収めるのはそっけなくて、好きじゃない。

残るもの、みなで食べたごはんの記憶。
しかしそれを幸せなことだと感じるのも受け皿が必要だ。
健全な心は健全な肉体に宿る。
だから一緒に、動こう、食べよう、遊ぼう、と言い続けてきた。


それだけではよくないと、最近感じ始めている。
わたしも、日々顔を合わせる友だちも、
よくも悪くも仕事と暮らしと遊びの境目が薄いので、休むことの定義が曖昧だ。
動き続ける周囲の姿を見ると、動かない自分に焦りを感じてしまう。
わたし自身も、忙しそうだねと言われると、でも遊んでいるから、と答えてしまう。
よくない。とてもよくない。

他人を変えるのは難しいけど、自分を変えるのは容易い。
だからわたしは眠るし、休む姿をあえて隠さない。
疲れている、だけではなく疲れているから休むということを声を大にする。
気を遣って欲しいわけではない。それでいいんだと思ってもらえるように。


明日のごはんが美味しく思えるように。


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