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支援のカタチ

URLと、「今日までです!」
ふだん連絡をとらない相手からのDM。

お店を始めたあたりからか、自分の思いを話すような講演が続いたからなのか、たまたま時流だったからなのか、クラウドファウンディングのDMがよく届くようになった。

クラファンのページを読んでも
そもそも関係性が出来ていないし共感ができないから支援しないのひと言に尽きるのだが、その文章を打つのも気持ちが重く億劫だった。
相手はそんなこと気にしないでとりあえず送るんだろうなあとネガティブに偏った想像をしてしまう。

そんなことが続いて、クラファンというものが苦手になってしまった。


苦手なんだよね、と友だちに言ったら
クラファンはお金集めじゃなくて仲間集めなんだけどねえ、そのひとはわかんなくなっちゃったんだね、と言っていた。
たしかに、今日までです!という言葉で仲間になるひとはいないだろう。

クラファンが悪いわけではない。
要は、ひとなのだ。


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友だちが何人も勤めるNPOが近所にある。

近所になる前から友だちだから、友だちと遊ぶように地続きで関わり、自分にできる範囲の支援をしていた。そしてそれが支援とも思っていなかった。


そのNPOがクラファンを掲げた。
周年のパーティーの手伝いをしていたこともあり、熱を帯び始めた応援を肌身に感じたし、SNS上でも同世代や少し下の世代も参加表明をし、ムーブメントになっていた。

だけどわたしはその波には乗れなかった。
応援したい気持ちは誰よりもあった。
でも、やはり、クラファンが苦手なのだ。


日がそう経たないころ、
運営するレンタルスペース兼コーヒースタンドにレンタル利用があり、わたしは客として茶の間でコーヒーを飲んでいた。
するとそのNPOの代表が訪れた。
彼らはしばしばここで仕事をしていく。


距離感的にはスタッフは友だちといえるが、代表は友だちといえるかというとそうでもない。
友だちの言葉の端々から尊敬を感じられるから、友だちの上司として敬意を払うひと。温度感伴う敬意と好意の間くらい。そんな距離感だろうか。

話がある、と伝えた。
NPOに用があるときはスタッフである友だちだれかしらに言伝をお願いしていたが、今回は友だちとして話したくない内容だったので、代表がたまたま訪れたのは運がよかった。


まず伝えたのは、このクラファンは達成するということ。
もちろん出来レースではなくハラハラするスピード感もあり、all or nothingで緊張感あるクラファンだった。
でも確信はあった。
他人事のようだが、達成するよ、と言った。


そしてクラファン自体は素晴らしい仕組みだが、
心理的かつ物理的に距離が近いからこそ、わたしは違う方法で支援をしたいということ。
端的にいうと、決して多くはないが、今のわたしができる限りの、まとまった金額を包んだ。

クラファンの目的、新しい拠点を作る景色はぜひ見たい。
が、もっとその前に必要なものがあると彼らの姿を日頃から見て感じていた。
そういうものに自由度高く、使って欲しいと思った。

友だちに話したくない理由はこの金銭の授受が築いた関係性に影響したらいやだなあと思ってのことだったのだが、期せずしてこの話をしているときに友だちが同席したので目論見は破れた。
聞かせたくなかったんだけど、と言うとどうせわかるから、と笑っていた。


後日、また別のスタッフである友だちが、代表から聞いたとお礼を言いにきてくれた。
お礼すらなくていいくらいだが、代表が丁寧に気持ちを受け取ってくれたのは嬉しかった。


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支援のかたちはひとそれぞれ。
その言葉は自分にこそ向けられていた。
だってわたしはクラファンに参加していないから。

NPOと、どちらも友だちでもあるその利用者とスタッフとの会話録をまとめた会談記事。
代表と他団体のNPOの代表と企画者の友だちとわたしの、食事をしながらのYouTube配信。
友だちが設定した裏テーマはわたしが運営するスペースのお客さんにNPOに理解度を深めることだった。
そのほかにも短い文章でNPOについて寄稿したり、言葉が枯れるくらい少し照れるくらい、自分の言葉で思いを語った。
定期的なレンタル利用が始まり居場所としての利用規約を作成したり、利用者とパンをこねたりコーヒーを淹れたり。
SNSでは誇張することなくしかし悲壮感もなく、ありのままの楽しく人間らしくたまに泥臭い彼らの姿を発信した。

クラファンをお願いします、の言葉は一切使わなかった。
自分の心に影を落とした言葉は、使わないと決めた。
それがわたしにできる支援だった。


クラファンは数日を残して達成。
セカンドゴールも設定しそれも8割達成。
最後の配信で友だちが巻き込まれる力について話していた。
大きな金額だったけど、それでも多くのひとが乗りたくなってしまう、巻き込まれたくなる夢があった。

達成がゴールではなくスタート、ここからは見せた夢を現実にしなくてはいけない。
彼らが本当に大変になるのはこれからで、よりたくさんのひとを巻き込んでいかなくては、成し得ない。


わたしの立つ位置はこれからも変わらず、友だちとして関わり見守り、ときに巻き込まれ。
いつか、あのとき大変だったよねえ、でも楽しかったねと、言いたい。

よいクラファンでした。
おつかれさまでした。

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