咲こうとする姿こそが美しい
今年の桜はいい桜だった。
咲かないねえ、咲かないねえとみなが口を揃えた。
待ち望む群集のその期待に応えるように、桜は一斉に咲き出し、春の嵐とともにあっという間に散ってしまった。
短い花の命を惜しむように、取りこぼさないようにと。
どこに行っても満開の桜の木の下には多くのひとが集っていた。
わたしはというと。
今年は花見らしい花見はしていないけれど。
歩きながら、すこし腰を休めてコーヒーを飲みながら、走りながら、桜を見上げた。
なんとも、落ち着きがない、わたしらしい花見の仕方だ。
そのとなりには、花と同じ名を冠する女の子。
この日は彼女と朝から友だちの店でモーニングを食べ、科学博物館に行き、上野公園から御徒町へ抜ける途中に花見遊山、彼女のスニーカーを見立て、隅田川沿いをランニングした。
まだ朝日と呼べる時間から、陽が落ちてからも、本当に丸一日遊んだ。
逞しくなったものだ。もちろん彼女が。
知り合った頃の彼女はいつの間にかそばにいて、弱々しく、壊さないように、無理のないよう、慎重に遊んだ。
しかし、巻き込まれるように遊びと仕事で目まぐるしい毎日を送り、たくさんの経験を重ねて、彼女が持つ素晴らしい素質と合間って、本当に本当に強くなった。
そしてまたひとつ、門出を迎える。
嬉しい気持ちと、少しの心配。
でもこの心配は、うちの子なら絶対大丈夫だけどしばらく見守らせて欲しい親心のようなもの、だと思う。
まだまだ道の途中。
歩いていく背中を見守っていきたいし、わたしだってたまには前を歩いて背中を見せたい。
そう、桜は咲こうとする姿こそが美しい。
ひとまず
おめでとう。よく頑張ったね。
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