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暮らしを重ねる、を考える


海風感じながら観光名所に訪れる人をぼんやり眺めたりだとか
パンをこねながらおしゃべりしたりだとか
友だちが作った料理を美味しいねと言い合って食べたりだとか
信頼している大人たちに見守られて認められて安心している姿をまた見守ったりだとか
プールに鮫が泳いでいるのを見てそうこれが見たかったんですよねと僻地まで行ったりだとか
赤提灯灯る横丁を見てあっちが楽しそう、行ってみようと道を選んだりだとか
川の水は冷たくて気持ちいいだとか
アルバイト体験で普段見ない友だちの姿とそれをフォローする頼もしい背中を見たりだとか
夢中でおしゃべりして暑くて駆け込んだトンネルは涼しいだとか


他者との感覚の共有は
言葉は少なくとも、なんならなくてもいい
非言語なコミュニケーションなのだと思った。



暮らしを重ねる、と表現しているものは
この非言語なコミュニケーションなのかもしれない。


感覚が共有できたかどうかを確かめる術はないが、景色を見てきれいだねと呟けば、となりにいるひとは、そうかこの景色はこのひとにとって綺麗なんだなと思うだろう。
まったく共感できなければ、自然と離れていくだろう。

美味しい、楽しい、綺麗、気持ちいい。
自分が居心地のよさを感じるものを知ってくれているひとがいて、気持ちを共感をできることと幸福度は比例している。



だから、わたしはひとといるのが好きなんだな。ひとりではできないから。


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